ルーマニアにおけるアルーマニア人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:57 UTC 版)
「アルーマニア人」の記事における「ルーマニアにおけるアルーマニア人」の解説
中世期にオスマン帝国支配下にあったアルーマニア人はMoscopoleなど彼らの故郷からルーマニアの支配するワラキア、モルドヴァへと移住した。当時のルーマニアもオスマン帝国の支配を受けていたが、ある程度の自治権を有していた。これらのルーマニアに移住したアルーマニア人たちは次第にルーマニア人に同化していったと思われる。 1860年にルーマニア政府はギリシャおよびトルコ領マケドニア、アルバニア内に100を超える学校を建設した。これはアルーマニア人に対して、ルーマニア系民族としてのアイデンティティーを与えることを目的としていた。1925年にはルーマニアのカロル2世がアルーマニア人にドナウ地方に居住地を与え、現在ではこの地の15%ほどにあたる50,000人がアルーマニア方言を話している。
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