ルートの選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 20:50 UTC 版)
1980年に、1978年に発足した「片福連絡線調査委員会」がまとめた中間報告書によると、ルート案は以下の通り3つ挙げられた。いずれのルート案も京橋駅から北新地駅を過ぎて阪神高速道路と交差する付近までは同じである。 A案:国道2号を尼崎市内まで進み、阪神電気鉄道(阪神)大物駅の北方付近から北上して東海道本線(JR神戸線)と交差したあと、福知山線(JR宝塚線)とつなぐルート(JR神戸線とは連絡しない)。 B案:阪神高速11号池田線(当時は空港線)沿いに進み、淀川の手前で東海道本線(JR神戸線)と並走して尼崎駅に至るルート C案:B案よりもさらに国道2号を進み、歌島橋交差点から北上して淀川を越えて神崎川の手前で東海道本線(JR神戸線)と並走して尼崎駅に至るルート これらの案のうち、阪神野田駅・地下鉄野田阪神駅と接続し、大阪市営地下鉄の路線網の空白地帯だった歌島橋付近の新たな鉄道サービス、大阪市交通局(当時)のバスターミナルの統合といった交通計画や沿線開発のインパクトや、JR神戸線と直通運転が可能であること、建設費が他の2案の中間的なものであるから、C案を推進した。 しかしその後は、国鉄の財政赤字のために長期にわたって建設の目処がたたず、建設費の削減のため大阪駅西方で東海道本線に乗り入れる案や、さらに三線軌条として阪神・京阪の直通運転も行う案まで検討された。 尼崎駅構内の配線は当初、4面7線の構造で福知山線(JR宝塚線)の取り付け部を変更せず、JR東西線を上下内外側線の間から方向別に取り付ける形で計画されていたが、宝塚方面・JR東西線の直通運転を行う場合、外側線を横断して平面交差することから順方向のほとんどで同一ホームで乗り換えができるように構内配線を変更して、現在の配線に決定した。
※この「ルートの選定」の解説は、「JR東西線」の解説の一部です。
「ルートの選定」を含む「JR東西線」の記事については、「JR東西線」の概要を参照ください。
- ルートの選定のページへのリンク