リョケンとは? わかりやすく解説

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りょ‐けん【旅券】


呂建Lu Jian

リョケン

(?~?)

曹操将軍

建安二十四年(二一九)、曹仁の守る樊城関羽包囲され于禁の七軍も水没してしまった。そこで太祖曹操)は徐晃派遣したが、徐晃の手新附の兵ばかりで関羽対抗できなかった。太祖は(漢中から)引き揚げる将軍徐商・呂建らを徐晃元へ送り、「歩騎の集結待ってから進め」と伝えさせた。さらに殷署朱蓋らが前後して遣され都合十二将が徐晃の下に集結したので、徐晃関羽を破ることができた《徐晃伝》。

参照殷署 / 于禁 / 関羽 / 朱蓋 / 徐晃 / 徐商 / 曹仁 / 曹操 / 樊城


呂虔Lu Qian

リョケン

(?~?)
魏威将軍徐州刺史万年亭侯

字は子恪。任城国の人。

曹操兗州にいたころ、胆略持ち主聞いて呂虔を従事抜擢し家子郎党率いて湖陸守らせることにした。襄賁校尉杜松領民炅母らが叛逆し、昌豨手を結んだので、曹操襄賁校尉を呂虔に交代させた。呂虔は炅母ら数十人の首謀者酒宴招き、彼らが酔いつぶれたのを見計らって潜ませておいた壮士撲殺させた。その配下者ども服従した

泰山太守兼務するようになったが、その地域戦乱のため多く人々隠れ住んでいた。袁紹中郎将取り立ててやった郭祖公孫犢数十人の山賊泰山にこもり、山麓住民に乱暴を働いていたが、呂虔は家子郎党率いて泰山郡赴任すると、恩愛信義示して彼らを帰服させた。彼らの中から壮健な者を選んで兵士としたので、泰山郡兵の精強さは州郡でも第一だった。

済南黄巾賊和らいたるところで県の長官たちを誘拐し城邑攻め立てていた。呂虔は夏侯淵とともに彼らと数十度も戦い斬首捕虜の数は数千人にもなった。また曹操の命により青州諸郡の兵を率いて東萊条を討って功績立てた曹操は呂虔を茂才推挙し泰山太守のまま騎都尉官職兼務させた。泰山にあること十数年、はなはだ威厳恩恵があった。

文帝王位に即くと裨将軍・益寿亭侯となり、徐州刺史転任し、また威将軍官職加えられた。徐州では王祥別駕として民事一任したので、人々はよく賢者任用したものだと評価した利城叛乱者討伐し、斬首したり捕虜にしたりして功績立てた明帝即位する万年亭侯に転封となり、二百戸を加増されて合計六百戸となり、そののち呂虔はじた。

参照袁紹 / 王祥 / 夏侯淵 / 郭祖 / 炅母 / 公孫犢 / 徐和 / 昌豨 / 曹叡明帝) / 曹操 / 曹丕文帝) / 杜松 / 条 / 益寿亭 / 兗州 / 湖陸県 / 襄賁 / 徐州 / 任城国 / 青州 / 済南国 / 泰山郡 / 東萊郡 / 万年亭 / 利城郡 / 威将軍 / 騎都尉 / 校尉 / 刺史 / 従事 / 襄賁校尉 / 太守 / 中郎将 / 亭侯 / 裨将軍 / 別駕従事 / 茂才 / 家兵(家子郎党) / 黄巾賊 / 長吏(県の長官



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