リタ・グレイと『サーカス』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:41 UTC 版)
「チャールズ・チャップリン」の記事における「リタ・グレイと『サーカス』」の解説
『黄金狂時代』の撮影中、チャップリンは16歳の女優リタ・グレイと2度目の結婚をした。1924年9月、リタはミルドレッドの時と同じように、チャップリンとの子を妊娠したことを明らかにした。カリフォルニア州法では未成年女性と関係を持つと強姦罪が適用され、最高30年の刑が科せられたため、リタの両親はそれをタネにチャップリンに結婚を強要した。そのためチャップリンは結婚を余儀なくされ、11月26日にメキシコで内密に結婚式を挙げた。リタは『黄金狂時代』のヒロイン役に予定されていたが、結婚により降板し、代わりにジョージア・ヘイルが演じることになった。リタとの間には、チャールズ・チャップリン・ジュニア(1925年5月5日生)とシドニー・アール・チャップリン(1926年3月30日生)の二人の息子をもうけた。 リタとの結婚生活は不幸であり、チャップリンは妻と会うのを避けるためスタジオで仕事に没頭した。1926年11月末、リタは息子を連れて家出し、翌1927年1月に離婚訴訟を起こした。訴訟書類はチャップリンだけでなくその関係者も相手取り、チャップリンを誹謗中傷する内容が書かれていた。この事件は大見出しのニュースとなり、全米各地でチャップリン映画のボイコットが起きたため、チャップリンは神経衰弱に陥った。8月にチャップリンの弁護士は、その種のものではアメリカの裁判史上最高の金額である60万ドルの和解金を支払うことに同意し、リタとの離婚が成立した。チャップリンは心労で一夜にして白髪になったが、幸いにも事件はすぐに忘れられ、チャップリンの人気にほとんど影響を与えることはなかった。 離婚訴訟が起きる前に、チャップリンは新作『サーカス』の撮影を始めていた。この作品は猿に囲まれて綱渡りをするというアイデアから物語が作られ、小さな放浪者をサーカスのスターに変えた。撮影は離婚訴訟のため8ヶ月間中断され、撮影中もさまざまなトラブルに直面した。この時の大きなストレスは長年にわたり感じ続け、自伝でもこの作品について言及されていない。作品は1927年10月に完成し、1928年1月にプレミア上映が行われて好評を博した。1929年、チャップリンは第1回アカデミー賞で「『サーカス』の脚本・演技・演出・製作で示した優れた才能」に対して名誉賞を受賞したが、授賞式は欠席した。
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