ライヴサポートメンバー
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「イエロー・マジック・オーケストラ」の記事における「ライヴサポートメンバー」の解説
ここでの「初期」とは、第1回ワールドツアー(ライヴ様式での区分け上、グリークシアターのチューブス前座も第1回ワールドツアーに含む)以前のライヴを指す。 矢野顕子 / キーボード&バック・ヴォーカル(第1回ワールドツアー、第2回ワールドツアー)矢野自身の曲「在広東少年」ではメインヴォーカルを務める。ワールドツアーでは通訳や現地メディアに応対する役割も果たした。1979年の自身のライヴにはYMOの3人がゲストとして参加した。その際には矢野が作詞した「東風」を披露している。第1回ワールドツアー時は娘の坂本美雨を妊娠していた。 渡辺香津美 / ギター(初期 - 第1回ワールドツアー)紀伊国屋ホールのライヴでは自身のバンドのメンバーが参加した。 鮎川誠 / ギター(初期、テクノポリス2000-20、1980年4月5日、4月9日〜15日、写楽祭)1978年12月に東京、六本木のライヴハウス「六本木ピットイン」で行われたライヴにも参加。DEVO、ローリング・ストーンズ両ヴァージョンのカヴァー「サティスファクション」の演奏ではメインヴォーカルを務めた。また、第1回ワールドツアー後の1979年12月19日中野サンプラザ公演や第2回ワールドツアー後の武道館公演の前座は、彼のバンドであるシーナ&ザ・ロケッツが行った。 風間幹也 / パーカッション(1978年12月10日 紀伊国屋ホール) 松本弘 / キーボード(1978年12月10日 紀伊国屋ホール)風間、松本ともに渡辺香津美のバンドのメンバーである。 大村憲司 / ギター&バック・ヴォーカル(テクノポリス2000-20、写楽祭、第2回ワールドツアー)第2回ワールドツアーでは自身の曲「MAPS」のメインヴォーカルを務めた。テクノポリス2000-20は、感冒性内耳炎になったため一時的にメンバーから外れたが、復帰時には鮎川誠とのダブルギターを披露(写楽祭でも鮎川とのダブルギターを披露している)。 松武秀樹 / プログラミング・SE(初期 - ウィンター・ライヴ1981) 矢野誠 / キーボード(初期) 林立夫 / パーカッション(1978・芝郵便貯金ホールでのライヴのみ参加) 橋本一子 / キーボード&バック・ヴォーカル(テクノポリス2000-20)矢野顕子産休のため。 藤本敦夫 / ギター&バック・ヴォーカル(テクノポリス2000-20、1980年4月4日、4月5日、4月7日) 藤井丈司 / ギター(テクノポリス2000-20、1980年4月1日)当時の本業はYMOの所属事務所であったヨロシタ・ミュージックのスタッフで、本来は、ドラマー兼プログラマー。急遽登板することになったが渡辺・大村とは異なり、簡単なコードしか弾けなかったため、坂本がソロパートを増やすことで対処した。 立花ハジメ / サックス(ウィンター・ライヴ1981 東京、新宿のディスコ「ツバキハウス」でのライヴのみ参加) 梅林茂 / ギター(ウィンター・ライヴ1981 東京、新宿のディスコ「ツバキハウス」でのライヴのみ参加) デヴィッド・パーマー / ドラム(散開ライヴ)高橋の要請により参加したが、当時所属していたABCのスケジュールと重なってしまったため、ABCを脱退して参加した。 GOH HOTODA / プログラミング・SE(1993・再生ライヴ) クリスチャン・フェネス / ギター・エレクトロニクス(2008・ロンドン&ヒホン、2011・WORLD HAPPINESS: FUJI ROCK FESTIVAL) 小山田圭吾 / ギター(2009&2010&2011・WORLD HAPPINESS、2011・FUJI ROCK FESTIVAL) 高田漣 / スティールギター(2008・ロンドン&ヒホン、2009&2010・WORLD HAPPINESS) 権藤知彦 / ユーフォニアム・フリューゲルホルン・コンピュータオペレーティング(2008・ロンドン&ヒホン、2009&2010&2011・WORLD HAPPINESS、2011・FUJI ROCK FESTIVAL)権藤はHAS以降、長期にわたってコンピュータオペレーティングを担当している。 レコーディング参加メンバーは各アルバムの項を参照
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