ヨーロッパおよびアメリカ大陸への普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 17:28 UTC 版)
「水球」の記事における「ヨーロッパおよびアメリカ大陸への普及」の解説
1888年、イギリスにおいて統一ルールが制定され、スポーツとして確立されたのを契機に、水球がイギリス国外へと伝播した。1888年、イングランドのクラブにおいて水球のプレイ経験をもつジョン・ロビンソン (John Robinson) がアメリカに渡り、はじめて水球を紹介している。数年遅れてロンドンで水球を学んだフリッツ・クニーゼ (Fritz Kniese) は1894年に祖国のドイツで水球を広め、1895年にはドーバー海峡を隔ててイギリスの隣国であるベルギーにも水球が紹介されている。同時期にフランスでも水球が行われるようになったが、組織化された形で発展するのは1898年になってからである。またハンガリーでは、イギリスの雑誌を見ていて水球に興味を持ったフュゼーレッシィ・アールパード (Füzéressy Árpád) が水球のルールブックとボールをハンガリーに導入し、1899年に初めハンガリーで水球の試合が行われた。この伝播は偶然に起きたのではなく、その背景には社会的あるいは地理的要因が関連し、いずれも水球発祥の地、イギリスと深いつながりを持つ人物を介して伝播して行った。しかしながら当時イギリスで行われていた水球そのものが導入されて、相似形として各国において発展していったのではない。各国の実情に合わせて、様々に形を変えながら、その土地柄に合わせて水球が根付いていったと言える。特にアメリカでは柔らかいゴムボールを用い、イギリスとは異なる独自のルールによる"Softball Water Polo"が発展した。当時、アメリカではこの水球が大変な人気を博すが、あまりにもプレーが粗暴で、試合のたびに選手に怪我人や失神者が続出したため、全米体育協会 (American Athletic Union: AAU) は1908年以降、水球競技を禁止スポーツに指定し、1920年のアントワープオリンピックまで代表チームを派遣することはなかった。 一方、フランスではベルギー国境の街で水球が盛んに行われるようになった。そして1900年のパリ万国博覧会の開催に合わせて、第2回パリオリンピックが開催され、団体種目として、そして球技として水球が初めて採用された。試合は、1900年8月11日 - 12日まで、セーヌ川の特設会場 (Basins d'Asnières Courbevoie) で行われ、マンチェスタークラブ (Manchester Osborne Club) のメンバーを代表とするイギリスが7対2でベルギーに勝利し、初代オリンピックチャンピオンの栄冠を手に入れた。
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