ヨーロッパから中東へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 20:21 UTC 版)
「テルアビブの白い都市」の記事における「ヨーロッパから中東へ」の解説
バウハウス様式は第一次世界大戦後のヨーロッパでの美術と機能性の統一を反映して創出されたものである。テルアビブでは、この様式が理想と考えられた。建造物群は早く、そして安価に建造されることができた。 しかし、建造物群は地中海性気候と砂漠の気候という両極端な気候に適合するものでなければならなかった。白をはじめとする明るい色彩は、熱を反射する。壁はプライバシーのためだけでなく、日除けとしての役割も果たすのである。また、ヨーロッパではバウハウス様式の重要な要素であった、採光用のガラス張りの大きな区画は、照りつける熱や光を余り取り入れずに済むように、奥まった小さな窓に置き換えられた。 西側には長く狭いバルコニーが配置され、その真上にはさらにバルコニーが載る形で陰を作っている。このバルコニーは住民に海からの微風を届けてくれる。傾斜のある屋根は平坦な屋根に置き換えられ、その屋根は住民たちが晩に涼んだり、社交の場として用いるための共用スペースにもなった。後にはピロティが採用され建造物群は柱の上に立てられた。それによって建物の下を風が通りぬけアパートメントを冷却してくれるだけでなく、子供たちに遊び場を提供することにもなった。
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