ヨーロッパからの移入文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
「ポピュラー音楽」の記事における「ヨーロッパからの移入文化」の解説
19世紀後半、東部の都市では、J・シュトラウス2世やレハールやオッフェンバック、それにロンドンのギルバートとサリバンによるオペレッタが移入され、人気を博した。 同じ時期、物語性がなく、歌、ダンス、コメディの寸劇などが演じられるショーとして、レビューが劇場や上流階級用のサロンなどでもてはやされていた。レビューは語源的には〈再見〉を意味するフランス語がジャンルの名となったもので、1820年代のパリで年末にその年のできごとを風刺的に回顧するために演じられた出し物を起源とする。その後、上演時期に関係なく、おおむね風刺的な内容の短い場面をつないだ芸能を指すようになった。 ワルツ王J. シュトラウスは、〈ウィンナ・ワルツ〉の名曲を数多く作ったが、熱狂的にヨーロッパに広がったこのワルツはアメリカに渡り、ゆるやかなボストン・ワルツが生まれた。 18世紀末から19世紀末にかけて、アメリカの領土は約3倍に、人口は移民や新領土獲得に伴う増で約14倍になっている。こうした中で文化的な統一など望むべくもないが、このように様々な民俗音楽の伝承が相互接触して文化変容するところから、多様なジャンルが生まれてくることになる。
※この「ヨーロッパからの移入文化」の解説は、「ポピュラー音楽」の解説の一部です。
「ヨーロッパからの移入文化」を含む「ポピュラー音楽」の記事については、「ポピュラー音楽」の概要を参照ください。
- ヨーロッパからの移入文化のページへのリンク