ヨーロッパでのブレイク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:57 UTC 版)
「クリス・レア」の記事における「ヨーロッパでのブレイク」の解説
1983年までにレコード会社は5枚目のアルバムとして生のデモテープからリリースしたように、レアに関心をなくしていた。しかしこの『ウォーターサイン』はアイルランドとヨーロッパ大陸で大ヒット。わずか数ヶ月で50万枚を売り上げ、シングル「ハート・ビート」は20位に入った。 『ウォーターサイン』の成功でレアはヨーロッパ大陸でのツアーに集中してファンベースを確立。1985年のアルバム『シャムロック・ダイアリーズ』とシングル「スティンズビー・ガールズ」「ジョセフィーン」からようやく本国イギリスでも注目されるようになった。 1986年にアルバム『オン・ザ・ビーチ』、1987年にアルバム『ダンシング・ウィズ・ストレンジャー』をリリース。1987年の『ダンシング・ウィズ・ストレンジャー』のツアーでは初めてスタジアムサイズの会場チケットが売り切れた。ロンドンのウェンブリー・アリーナでは2回公演している。この後、初期の作品を録音しなおした初めてのコンピレーション・アルバム『ニュー・ライト・スルー・オールド・ウィンドウズ』をリリースしている。 1989年のアルバム『ロード・トゥ・ヘル』はレアにとって大きなブレークスルーだった。大成功をもたらしたこのアルバムは初めて全英チャート1位に輝いた。タイトルトラックはシングルリリースされ、全英チャートで10位に入った。ただしアメリカでの事情は異なり、シングル「テキサス」がラジオでプロモーションとして流されたにもかかわらず、アルバムは107位にしかなっていない。1989年12月、レアはバンド・エイド IIに参加し、次のアルバム『オーベルジュ』はヨーロッパでヒット。再び全英チャート1位に輝いている。
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