ユダヤ人問題と反セム主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 02:49 UTC 版)
「ホロコースト」の記事における「ユダヤ人問題と反セム主義」の解説
「反セム主義」も参照 キリスト教が普及したヨーロッパにおいて、ユダヤ人は(歴史的事実であるか否かはともかく)キリストの磔刑に関与したとされたため、キリスト教徒から「神殺し」とみなされ、キリスト教への改宗を拒んで追放されるなど、中世以来たびたび迫害を受けてきた。11世紀まではユダヤ人はシリア人と呼ばれた近東の民とともに通商の担い手であったが、中世後半期には次第に土地所有も交易に従事することも制限されるようになった。11世紀以降にギルド制が発達すると、ユダヤ人の職業選択の幅は著しく狭まった。第4ラテラノ公会議(1215年)ではユダヤ人の隔離や公職追放の方針が決められた。こうしたことからユダヤ人は職工や農業といった生産的職業に就くことができず、質屋などの消費貸借専門の金融業や両替商がユダヤ人の主な職業となった。このため、ユダヤ人を堕落した人間と見る風潮があった。ユダヤ人はキリスト教社会から疎外され、ゲットーと呼ばれる場所に隔離されるなどしたが、かえってそれぞれのコミュニティを強化し続けていった。 18世紀以降、啓蒙主義の浸透によって、ユダヤ人解放と社会的地位向上が唱えられた。1848年革命ではユダヤ人解放も唱えられたが、一方でこれは自由主義に反発する者の間に、「ユダヤ人は体制の破壊者である」という見方が醸成された。また、ユダヤ人が新聞などのメディアを支配しているという見解もこの頃からあらわれた。西欧社会への同化が進むにつれ、反ユダヤ主義は宗教的なものから人種主義的な「反セム主義」へと変質した。19世紀後半になると、ユダヤ人同化と地位向上によって引き起こされた「ユダヤ人問題」の根本的解決を訴える論調が盛んになり、社会ダーウィニズムに基づく疑似科学的な人種主義によって組織的なユダヤ人迫害への理論的基礎が置かれた。すでにユダヤ人は血統的・言語的に居住国に同化している場合がほとんどであることから、あくまで“疑似”人種・民族論である。こういった運動を行った者としては、ゲオルク・フォン・シェーネラーやカール・ルエーガーがいる。 また、ロシア帝国においてはアレクサンドル2世の暗殺以降、保守化が進行し、ユダヤ人迫害である「ポグロム」が激化した。20世紀初頭には「シオン賢者の議定書」と呼ばれる反ユダヤ主義パンフレットが流布された。これはバルト・ドイツ人であったアルフレート・ローゼンベルクによってナチ党に紹介されることになる。
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