モンタージュ写真による捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:20 UTC 版)
「三億円事件」の記事における「モンタージュ写真による捜査」の解説
12月21日にモンタージュ写真が公表された。しかし、これは通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげて作成されたものではなく、事件直後に容疑者として浮上した人物(後述する立川グループの少年S)が犯人に似ているという銀行員4人の証言を根拠とした上で、少年Sに酷似した人物の顔写真をそのまま無断で用いたものであった。なお、捜査本部は実行犯を間近で目撃した4人の銀行員たちを刑事のふりをさせてSの通夜をしていたS宅に招き、Sの顔を面通しをさせて、4人全員がSが実行犯に「似ている」または「よく似ている」と答えている。 後に4人の銀行員は事件3日後の12月13日に銀行内での内輪の報告では警察の聴取とは異なり、犯人の人相記憶に一貫した説明ができなかったり、漠然としていて顔や形の説明ができなかったり、1人は車の窓の柱が邪魔になって実は犯人の顔を見ていなかったと語っていたこと等が判明したことなどから、現金を強奪される際に「キーを差し込んだまま逃げた」「通報が遅れた」というミスを犯した責任感に加えて「犯人の顔も覚えていない」では許されないという重圧から証言に大きなバイアスがかかっていた可能性が浮上した。また、後の警察の補充捜査で、4人の銀行員の目撃証言について4人が同室で証言させられたことで他の銀行員の意見に引きずられやすい雰囲気の中で調書が作成されたこと等の問題点が浮上している。 本来「このような顔」として示す程度のモンタージュ写真を「犯人の実写」と思い込んだ人が多く、そのために犯人を取り逃がしたのではないかという説もある。また、モンタージュ写真を見せて取材をしていた記者が捜査本部に「家にモンタージュ写真を持って男が話を聞きに来たが、その男が写真に似ていた」と通報されるなど、モンタージュ写真の公開によって膨大な情報提供が寄せられたことが却って捜査を混乱させたという指摘がある。 1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、問題のモンタージュ写真も1974年に正式に破棄されている。しかし、その後も本事件を扱った各種書籍などでこのモンタージュ写真が使用され続けており、犯人像に対する誤解を生む要因となっている。 なお、これらの経緯が初めて明らかになったのは、『文藝春秋』1980年8月号における小林久三・近藤昭二の共筆による記事によるものである。
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