ミルヒル礼拝堂の聖職者
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「ジョゼフ・プリーストリー」の記事における「ミルヒル礼拝堂の聖職者」の解説
プリーストリーが聖職者となったミルヒル礼拝堂はイングランドでも最古で格式の高い非国教徒の集会所だった。しかし18世紀初めごろに教義の解釈をめぐって会衆が分裂し、さらにカリスマ的なメソジスト運動にも会衆を奪われていた。プリーストリーは若者を教育することで再び教徒の結束を強めることができると信じていた。 3巻の大作 Institutes of Natural and Revealed Religion (1772–74)では、独自の宗教指導理論を概説している。より重要なのは、自身の信念をソッツィーニ派として開陳した点である。彼が展開した教義は後にイギリスでのユニテリアン主義の標準となった。この作品はプリーストリーの神学上の考え方の変化を示しており、後の著作を理解する上で重要である。後の唯物論と必然論(絶対者は必然的な形而上の法に従って行動するという信念)への萌芽が見られる。 Institutes での主な主張は、受容できる唯一の明らかな宗教的真理は自然界での人の経験と符合するものだけだというものである。彼の宗教観は自然界の理解と深く結びついているため、同書では有神論を目的論的証明に留めている。同書はキリスト教の基本的正説(キリストの神性や処女懐胎)を疑問視する内容だったため、多くの読者が衝撃を受けた。これに対してリーズのメソジスト教徒が「ユニテリアンの悪魔を追い出し、その教義を地獄に追いやる」ことを神に祈る賛美歌を書いている。プリーストリーが望んでいたのは、何世紀にもわたる「堕落」を排除してキリスト教を「原初」の「純粋」な形に戻すことだった。同書の第4部はあまりにも長くなったため、An History of the Corruptions of Christianity という独立した著書として1782年に出版。本人はこれが彼の最も価値ある著作だと信じていた。同書では勃興しつつある科学と歴史比較の論理を聖書やキリスト教に適用することを読者に要求しており、宗教界からも科学界からも支持されなかった。科学者は宗教の弁護に科学が使われているのを好ましく思わず、宗教者は科学を宗教に応用することを拒絶した。
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