ミホノブルボンのクラシック三冠を阻止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:18 UTC 版)
「ライスシャワー」の記事における「ミホノブルボンのクラシック三冠を阻止」の解説
夏は休養のため大東牧場で過ごし、7月下旬に帰厩。9月24日にセントライト記念で復帰した。この日、的場は函館3歳ステークスに出走するインターマイウェイに騎乗するため函館競馬場にいた。そのため、鞍上には代わって田中勝春を迎えてのレースとなった。レースはミホノブルボンの僚馬レガシーワールドが先行し、ライスシャワーは第3コーナーからこれを捉えに動いたが、アタマ差届かす2着となった。ライスシャワーに騎乗せず函館に行った的場に飯塚は不快感を示し、競走後には騎手交替が取り沙汰されたが、これを知った的場が飯塚に謝罪したことで事態は収拾し、主戦騎手は的場のまま据え置かれた。的場はこの件について「ライスシャワーはもう必要な教育がすべてできているので、ある意味では誰に手綱を譲っても安心である。しかし、若馬はそうはいかない。もしも何かのきっかけでレースが嫌いになったら、悪い癖がついたら……。能力がある馬でも、それを出し切れないまま終わってしまうかもしれない。どうしても僕らは心配性になってしまうし、先々を考えて選択したつもりだった」と述べている。ただし、的場はセントライト記念を函館競馬場のテレビで見た際に「夏を超し、体が戻って逞しくなっているのがわかった。いい状態だな、望みはあるな」と思ったという。 騎手が的場に戻った次走・京都新聞杯ではミホノブルボンと4度目の対戦となり、同馬に次ぐ2番人気に支持された。結果はミホノブルボンから1馬身半差の2着となり4連敗を喫したが、菊花賞はライスシャワーに向き、ミホノブルボンには不向きな3000メートルの長距離となることから的場・飯塚ともに本番での逆転に自信を深めたという。的場はレース後にオーナーの栗林英雄の夫人・育子に対し「もし逃げ馬のキョウエイボーガンさえ出走してくれば、ライスシャワーでミホノブルボンを負かす可能性がある」と口にした。的場は馬主たちと気軽に言葉を交わすようなことはほとんどなく、自分から親しげに話すようなこともなかったため、これを聞いた育子はこの的場の言葉と態度に驚いたという。 11月8日の菊花賞当日は、史上5頭目、無敗馬としては史上2頭目のクラシック三冠達成が懸かったミホノブルボンが単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、ライスシャワーは7.3倍と離れた2番人気であった。レースは、逃げ馬であったミホノブルボンに先んじてキョウエイボーガンが先頭を奪い、ライスシャワーは5番手という展開となる。2周目の最終コーナーで失速したキョウエイボーガンをミホノブルボンが交わして先頭に立ったが、直線半ばでライスシャワーがこれを差し切り、1馬身1/4差を付けて優勝。重賞初制覇をクラシックで果たした。優勝タイム3分5秒0は当時の芝3000メートルにおける日本レコードタイムであった。またこの勝利は、ミホノブルボンの三冠を阻止する結果ともなった。的場は競走後のインタビューにおいて「人馬ともども、なんとかミホノブルボンを負かしてやろうという気持ちでいたんですが、それが実って本当に嬉しいですね」と語ったが、三冠達成への期待が高かったことから、競走後の場内には「拍手もなくて、ブーイングのような雰囲気」(栗林育子)、「今までにない、ちょっと何かおかしな雰囲気」(小島貞博)も漂った。 菊花賞後は年末のグランプリ競走・有馬記念に出走し、前走のジャパンカップを優勝したトウカイテイオーに次ぐ2番人気に推された。しかし、的場が後方に位置したトウカイテイオーの不調に気付かずスパートが遅れる結果となり、8着に終わった。的場はこの競走について「僕が乗った中で、ライスシャワーに対して最も失礼なレースだった」と述べている。
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