ミホシンザンの二冠とシリウスシンボリのダービー制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:14 UTC 版)
「1985年の日本競馬」の記事における「ミホシンザンの二冠とシリウスシンボリのダービー制覇」の解説
この年の牡馬クラシック戦線は五冠馬シンザン産駒ミホシンザンが無敗のまま皐月賞を5馬身差で圧勝。3年連続の三冠馬の期待もあったが、レース翌日に骨折が判明し、東京優駿(日本ダービー)は早々に断念となった。 ミホシンザン不在のダービーで本命に推されたのはシリウスシンボリ。こちらは仔細あったが(詳細は同馬の項参照)、皐月賞を脚部不安で回避しており、若葉ステークスからダービーに直行する異例のレースプランであったが1番人気に支持され、勝利を収めた。シンボリ牧場は生産馬によるダービー連覇を果たしたが、シリウスシンボリはこの後2年に及ぶ長期の海外遠征に臨み、秋以後は不在となった。 秋にはミホシンザンが復帰。セントライト記念は苦手の重馬場もあり5着に敗れたが、京都新聞杯そして菊花賞と勝ち、二冠馬となった。 結局、シリウスシンボリが日本に帰国しレースに出走したのは6歳となった1987年の夏で、その頃にはミホシンザンは故障してそのまま出走することなく引退したため、この両者はついに対戦することがなく終わった。
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