ミサの本質とは? わかりやすく解説

ミサの本質

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 09:27 UTC 版)

ミサ」の記事における「ミサの本質」の解説

旧約いけにえ完成でありキリストの教会いけにえ トリエント公会議はその第22総会において次のようにミサ聖祭について宣言した。 「私たち天主であり、主であるキリストは、十字架祭壇の上死に、「一度永久に」(ヘブライ10:14)父である天主自分ささげて救いのわざを完成した。しかしキリスト司祭職死によって消去るものではなかったので(ヘブライ7:2427)、敵の手渡される夜(コリント第一11:13)、最後の晩さんにおいて、自分愛す花嫁である教会目に見えるいけにえ(英: visible sacrifice)を残したのである人間のためにはこれが必要であった)(第1条)。これによって、十字架上で一度血を流してささげたものが表わされ、その記憶世の終りまで続きコリント第一11:23以降)、その救いの力によってわれわれが毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位にひとしい永遠司祭」(詩編109:4)であると宣言して自分の体と血をパンとブドー酒の形色のもとに父である天主ささげた。そして、使徒たち新約司祭として制定しパンとブドー酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた使徒たちその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22:19コリント第一11:24)という言葉で、それをささげるように命じた。 罪の償いのための真のいけにえ トリエント公会議言葉続けてこう宣言する。 「ミサにおいて行われるこの神的ないけにえ中に十字架祭壇上で血を流して自分自身天主ささげたヘブライ9:27)その同じキリスト現存し、血を流さず自分自身ささげている。したがって聖なる公会議次のことを教える。すなわち、ミサ聖祭真に罪の償いいけにえである(英: this sacrifice is truly propritiatory)(第3条)と。」 「われわれが真心正し信仰畏敬の念痛悔償いの心をもって天主近づくならば、「適切な時に慈悲を受け、恩恵見出すうになる」(ヘブライ4:16であろう。なぜなら、このいけにえによってなだめられた主は、悔改め恩恵たまもの与えどのように重い大罪さえも赦すからである。すなわち、(十字架いけにえ祭壇いけにえであるミサ聖祭とでは)いけにえ同一である。あの時自分十字架の上ささげたキリストが、今司祭役務通してささげているからである。違うのはささげ方だけである。事実、この無血供え物によって、十字架上の流血の)ささげもの成果を非常に豊かに受けることができる。しかし、このいけにえミサ)によって十字架上のいけにえ決し廃止されるのではない(第4条)。」

※この「ミサの本質」の解説は、「ミサ」の解説の一部です。
「ミサの本質」を含む「ミサ」の記事については、「ミサ」の概要を参照ください。

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