マーキュリー計画
スプートニク打ち上げに刺激された、アメリカの宇宙飛行計画
1957年10月4日、旧ソ連は人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功しました。これに刺激されたアメリカは、1958年にNASAを組織し、有人宇宙飛行を計画します。この計画は旅の神であるマーキュリーにちなんで「マーキュリー計画」と名づけられ、7人の宇宙飛行士が選ばれました。これにより、アメリカと旧ソ連の宇宙開発競争の幕が切って落とされました。
1961年にフリーダム7がアメリカ初の有人宇宙飛行
1961年5月5日、アメリカ初の有人宇宙飛行船・フリーダム7は、アラン・シェパード飛行士を乗せて宇宙に飛び立ちました。フリーダム7の飛行時間は16分だけでしたが、1962年2月20日には、フレンドシップ7でジョン・グレン飛行士が4時間56分の地球軌道飛行に成功しました。マーキュリー計画では、最終的に6回の打ち上げで6人の宇宙飛行士が宇宙に行き、無重力空間でも人類が生存できることを示しました。
7人の宇宙飛行士にちなみ宇宙船にはかならず「7」がつく
マーキュリー計画で使用された宇宙飛行船の名前には、フリーダム7など、すべての宇宙船に7がついています。これはNASAの宇宙飛行士第1期生チームが7人だったことによります。また、使われた宇宙船はすべて、大気圏再突入時の熱や着水時のショックに耐えられるように、翼のないカプセル型になっていました。
ケネディ大統領が「10年以内に人類を月へ送る」ことを宣言
マーキュリー計画の6回のフライトによる宇宙での滞在時間は、合計で2日と6時間におよび、そのうちの4分の3近くが、最後のフェイス7で達成されました。当時のケネディ大統領は、最初のフリーダム7の帰還からわずか3週間後に、「10年以内に人類を月に送る」と声明を出しました。それは、次のジェミニ計画、アポロ計画という新たな宇宙開発時代の幕開けを宣言するものでした。
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