マデシ運動とは? わかりやすく解説

マデシ運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 13:59 UTC 版)

マデシ」の記事における「マデシ運動」の解説

マデシ人権フォーラム」も参照 近年[いつ?]、「マデシ運動」が活発化している。マデス地方人々への差別撤廃ネパール国内での自治権の拡大議会における議席拡大などを要求している。さまざまな団体活動しており、中には民主テライ解放戦線英語版のような武装組織含まれている。 穏健派連邦制導入求めており、一方急進派分離独立求めている。マデシ人権フォーラムMJF)は有力な団体一つで、この運動では大量群衆権利求めて街頭活動行い、それにより、約40名の死者出している。2008年2月9日マデシ人権フォーラム友愛党タライ・マデシ民主党は「統一民主マデシ戦線」を結成した戦線6つ要求提示した。その中にはマデシ自治国設立自決権比例代表制国軍へのマデシ人の採用含まれていた。戦線2月11日から12日にかけて抗議行動表明し2月13日から無期限ストライキ入ったスト16日続きカトマンズ盆地物資不足に陥れた。政府譲歩しスト収まったマデシ人権フォーラム2008年4月10日制憲議会選挙政党として参加し52議席獲得して第4党に進出している。また、同じくマデシ地域政党であるタライ・マデシ民主党20議席友愛党は9議席獲得し議会のなかで有力な勢力となっている。 2008年5月28日制憲議会では連邦制採用議決された。現在、マデシ諸政党は制憲議会一つマデシとしてインド国境地全体細長い一つ自治区をつくることを強く主張しているが、これには、同じタライ地方先住民族であるタルー族反対しており、毛派統一共産党もこの主張には反対している。2008年7月19日選出され副大統領パラマーナンダ・ジャーマデシ人権フォーラム出身であり、また7月21日選出されネパール会議派出身ラーム・バラン・ヤーダブ大統領もまたマデシ出身である。 ジャー副大統領就任宣誓式をヒンディー語行い、非マデシ系のネパール人から激し抗議受けたついには自宅爆弾投げ込まれ警備当たっていた警察官負傷する事態になった2008年8月31日実質的に発足したプラチャンダ内閣にはマデシ人権フォーラム外務大臣ウペンドラ・ヤーダブ)を含む4閣僚入閣させ、友愛党からも党首ラジェンドラ・マハト入閣している。

※この「マデシ運動」の解説は、「マデシ」の解説の一部です。
「マデシ運動」を含む「マデシ」の記事については、「マデシ」の概要を参照ください。

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