抗議活動の再開と交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/12 06:54 UTC 版)
「マデシ人権フォーラム」の記事における「抗議活動の再開と交渉」の解説
10月6日、フォーラムは政府が22項目の合意の一部を履行せず、マデシの安定を保障することに失敗したと表明し、投票に先立って選挙に対して中立な政府を形成することを要求した。フォーラムは選挙運動からの撤退を宣言、さらに11月22日から新たな抗議行動を開始すると表明した。 11月16日コイララ首相はヤダフと会談し、フォーラムの要求を実現すると約束した。フォーラムは予定されていた抗議行動を中止した。 11月17日ヤダフは首相の辞任を要求した。 フォーラムと、ラジェンドラ・マハトの率いる友愛党 は「統一マデシ戦線」を形成した。統一マデシ戦線は「マデシ自治国」の創設を要求した。 2008年1月19日、戦線は1月23日に抗議活動を開始すると宣言した。1月20日、タライ・マデシ民主党がこれに加わった。1月23日に始まったストライキはジャナクプルに最大限の衝撃を与えた。2月3日戦線は抗議行動をエスカレートさせ、いくつかの州にまたがるストライキを呼びかけた。ストライキ二日目、フォーラムの活動家はネワールパラシで警察と衝突した。 2008年、2月9日、マデシ人権フォーラム、友愛党、タライ・マデシ・民主党は「統一民主マデシ戦線」を結成した。新しい戦線は6つの要求を提示した。その中にはマデシ自治国の設立、自決権、比例代表制、国軍へのマデシ人の採用が含まれていた。戦線は2月11日から12日にかけて抗議行動を表明し、2月13日から無期限のストに入った。2月16日、バラ地方のジトプルで警官隊が抗議者に発砲した。ストは16日間続き、カトマンズ盆地を物資不足に陥れた。 ストライキは政府と戦線の合意で終結した。合意の中には、マデシ自治国を含む連邦制の採用、ネパール国軍への少数派の比例的採用、マデシ運動で殺されたものへの殉職者待遇、そして負傷者への無償の治療が含まれていた。制憲議会選挙については規定の締め切りが過ぎていたにもかかわらず、戦線に参加した政党の立候補届けは特別に認められた。
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