マシン開発の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 02:45 UTC 版)
「ポルシェ・917」の記事における「マシン開発の経緯」の解説
国際自動車連盟(FIA)内の国際スポーツ委員会(CSI)は1968年度よりメイクス国際選手権に出走するスポーツカー(競技車両A部門第4グループ)とプロトタイプ・スポーツカー(競技車両B部門第6グループ)をそれぞれ第12クラス(3.0リットル超から5.0リットル)と第11クラス(2.5リットル超から3.0リットル)に上限規制した。この処置によりプロトタイプで第12クラスのフェラーリや同第13クラス(5.0リットル超)のフォード、シャパラル(シボレー)は選手権への出走権を失い、フェラーリは一時撤退、シャパラルは完全撤退、フォードは系列チームがスポーツカーで継続するのみとなった。 それまで小排気量クラスの限定タイトルに甘んじていたポルシェはこの好機に選手権総合タイトル獲得を目論み、前年から高い完成度を示している2.20リットルのプロトタイプ・スポーツカー907に加え、第4戦から2.92リットル(最終第10戦には3.00リットル)の新型プロトタイプ・スポーツカー908を投入した。しかしフォード系列チームから出走する4.73リットル(終盤から4.95リットル)スポーツカーのフォード・GT40との接戦に屈し、タイトルはフォードが獲得する結果となった。 フォード本社の支援を受けているとはいえ、運用開始から5年目となる旧規格 (1965年以前) のスポーツカーであっても最新のプロトタイプ・スポーツカーに対し互角以上の年間競争力を示したこと、1969年度よりスポーツカーの生産公認に必要な連続12月間の最低生産台数が50台から25台へ引き下げが決まり、これが対応可能であること、以上の理由から、それまでのプロトタイプ・スポーツカー第11クラスに替わり、スポーツカー第12クラスとして開発が決定された。 フェルディナント・ピエヒの指揮の元、1968年7月より開発が始まった。1969年シーズンまでの短期間で用意するため、基本的には908の車体設計をベースに、エンジン排気量を拡大する方向で設計された。1969年3月のジュネーブモーターショーで発表されたが、4月のホモロゲーション審査までに25台が完成せず、1カ月後に改めて査察を受けて公認された。この際、組み立て精度が低くなることを厭わず突貫作業で必要台数を揃えた為、査察後に改めて精度管理の元に再組立てが行われた。
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