ボクシングでの歩み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:19 UTC 版)
高校時代当初は吹奏楽部に所属しコントラバスを演奏していたが、1年の夏に退部。その後、受験勉強に取り組んでいたが、ある日、図書館に行って勉強しようとしたところ、運悪く休館日だった。これに怒った小堀はその勢いでボクシングを始めた。 2000年2月19日、高校3年生でプロデビュー戦に2RKO勝利を収めた。 2006年1月14日、本望信人が返上した日本スーパーフェザー級王座を真鍋圭太と争い、2RTKO勝利により獲得。その後藤田和典、大之伸くまらを下し3度の防衛に成功した。 2007年5月19日、本望が返上し空位となったOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座と自身が保有する日本同級王座を懸けたダブルタイトルマッチを村上潤二と行い7RTKOで2冠を達成した。東洋太平洋王座は8月27日に返上。日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞。 2008年1月5日、同級1位松崎博保と防衛戦を行い2ジャッジが1ポイント差の3-0で防衛に成功。角海老宝石ボクシングジムが主催する興行では、この試合からレイジェス製のボクシンググローブを使用し、鈴木眞吾会長は「スリリングなファイトをファンに見てもらいたい」と語った。 2008年3月26日、世界戦準備のため日本王座を返上。その後、ドン・キングと契約した。 2008年5月19日、世界初挑戦と同時に初のライト級契約試合。ディファ有明でWBA世界ライト級王者ホセ・アルファロ(ニカラグア)に挑戦。2R開始直後にダウンを喫するが、その後に猛反撃し、3回2分8秒逆転TKO勝ちで世界王座を獲得した。この時点でWBAのライト級にはスーパー王者ネート・キャンベルが存在した。この試合は2008年度プロ・アマチュア年間表彰選手選考会で年間最高試合賞に選出され、同時に殊勲賞も受けた。 2009年1月3日、パシフィコ横浜でパウルス・モーゼス(WBA世界ライト級1位/ナミビア)との初防衛戦において0-3の判定負けで王座から陥落した。その後、現役続行を表明し、再起に向けて練習を再開するも首や腰の痺れや痛みが悪化したため、5月22日に引退を発表。6月7日、所属ジムで引退会見と引退パーティーが開かれた。 引退後は3ヶ月間のインド放浪を経て2011年3月からカナダカルガリーの「Teofista Boxing Gym」でトレーナーを務めた。2014年7月に帰国し、2016年4月から角海老宝石のトレーナーを務める。
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