ホワイト・スター・ライン社長としてとは? わかりやすく解説

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ホワイト・スター・ライン社長として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 03:49 UTC 版)

ジョセフ・ブルース・イズメイ」の記事における「ホワイト・スター・ライン社長として」の解説

1899年に父トマス死去し、その跡を継いでホワイト・スター・ライン社長となる。しかしこの前年の1898年にはアメリカジョン・モルガンがインマン・ライン社(英語版)を買収以降北大西洋航路事業への参入を図るモルガン財閥によって海運企業次々と買収されていた。ホワイト・スター・ライン対象とされており、父トマスはそれを防ごう悪戦苦闘している中で亡くなったブルース当初モルガン対抗しようとしたが、ホワイト・スター・ライン下請け造船会社ハーランド・アンド・ウルフ社の会長ウィリアム・ピリー(英語版)(後の初代ピリー子爵)はモルガンとの価格競争になって造船予算切り詰められることを嫌がりモルガン買収申し出を受けるようブルース説得あたった結局1902年ブルースはその案を呑みホワイト・スター・ラインモルガン国際海運商事英語版)に買収される運びとなった一方ホワイト・スター・ラインライバル企業キュナード・ライン社はモルガンホワイト・スター・ライン買収警戒した英国政府から様々な特権引き出すことに成功しイギリス企業にとどまることで今やアメリカモルガン財閥一部化したホワイト・スター・ライン対抗したキュナード王立海軍支援受けて1906年豪華客船ルシタニア号とモーレタニア号を進水させた。これに対抗すべく、イズメイオリンピック号タイタニック号、ジャイガンティック号(この船名は後に「ブリタニック」に変更される)の3隻の豪華客船建造計画立ち上げた1910年初め会議席上ハーランド・アンド・ウルフ取締役アレグザンダー・カーライルが2886人分48艘の救命ボート設置提案したが、イズメイ経費掛かりすぎるとして却下しイギリス商務庁の規定する16艘で十分とした。(実際に設置され救命ボートの数は20艘)この時のことをカーライルは「我々は2時間費やして一等船室カーペットについて議論し救命ボートについては15分しか話さなかった」と回顧している。 オリンピックタイタニック建造ハーランド・アンド・ウルフ取締役トマス・アンドリューズの監督のもとに行われたアンドリューズももっと多く救命ボート備えることを進言したが、イズメイ却下した1911年5月31日行われたタイタニック進水式にはイズメイモルガン出席した1912年4月10日タイタニック処女航海日と定め、その船長にはホワイト・スター・ライン古参船長エドワード・スミス据えたスミス1912年2月オリンピック号船長務めていた時、王立海軍巡洋艦衝突事故発生させているが、イズメイオリンピック号責任とする海軍主張言いがかり跳ね除けスミスタイタニック船長任命した

※この「ホワイト・スター・ライン社長として」の解説は、「ジョセフ・ブルース・イズメイ」の解説の一部です。
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