ペーパー・アーキテクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/15 03:47 UTC 版)
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- 紙でつくる建築を模したアート作品。またそれを造る造形デザイナー・アーティストのこと。名建築をペーパークラフトにするスタイルから、創造にまかせ紙を自在に操って超精密な建築型オブジェをつくりあげられる場合や、建築のほか乗物などの作品を発表することもある。
- アンビルト・アーキテクトのこと。ただしかつてのアーキグラムやアーキズームより、1980年代や1990年代にかけて行われているアイデアコンペに出展していた当時のソ連国籍の若い建築家らを指してこう称していた。ロシア建築#ペーパー・アーキテクトを参照。ザハ・ハディッドなども、かつては有名なペーパー・アーキテクトの一人であったが、それが世界で一番有名な女性建築家となり、そして今では世界で最も活躍している建築家の一人となっている。
- クライアントのイメージを紙で立体化した建築設計におけるスタディ模型づくりのこと。
参考文献
- The Paper Architect: Fold-It-Yourself Buildings and Structures Marivi Garrido (著), Ingrid Siliakus (著) : Potter Craft; Spi版 2009 ISBN 978-0307451477
- Hans Ulrich Obrist & Zaha Hadid: The Conversation Series, Walther Konig, 2008.
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ペーパー・アーキテクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:53 UTC 版)
「ロシア建築」の記事における「ペーパー・アーキテクト」の解説
フルシチョフ失脚後、ソビエトは官僚主義が支配する時代となった。ソビエト建築も長い停滞時期に入った。当時のロシア建築界のこのような閉塞状況に、とくに若手建築家たちは当然ながら不満を抱いていた。ソビエト国内でオリジナリティを発揮できなくなった建築家たちは、20世紀初頭に展開されたロシアアヴァンギャルド建築家たちの建設プロジェクトやソヴィエト宮殿計画などの時のように、しばしば紙の上のみの、非現実的な建築計画を制作し、国際建築設計競技特にアイデアコンペの出展により活路を見出そうとした。 これらの運動は「ペーパー・アーキテクト」とよばれ、1980年代に数々の国際コンペで入賞を果たしていた。 ペーパー・アーキテクト運動という何らかの芸術的な主義主張の下に誕生した運動ではないため、それぞれの建築家の表現方法もさまざまで、各作者の作品間に何らかの統一されたスタイルを見いだすことはできない。しかし共通点は過去のペーパー・アーキテクチャーからの引用によって構成しそこから具体な建築空間が想起させにくくされているものや、だまし絵のような不条理空間や、廃墟の設計図などがしばしば描かれた。各作品には建築設計することに対するニヒリズム的な性格を帯びていた。 この、建築界のアンダーグラウンドで展開されたペーパー・アーキテクトないしペーパー・アーキテクチャー運動は1970年代末、当時のモスクワ建築大学(ロシア語版、英語版)の教授であったイリヤ・レジャワが、自らの下に集まった学生たちと、国外の建築コンペティションに積極的に参加しはじめることで開始された。代表格にアレクサンドル・ブロツキーとイリア・ウトキンのコンビやミハイル・フィリッポフ、ミロン・ハザーノフらがいる。ただし彼らもその後は幾つか実作品も手がけるようになっていく。 こうしたソヴィエト・ロシアにおけるペーパー・アーキテクトという呼称は、明らかにネガティブな響きを持ち、非難・嘲笑するために用いられていた。実際活動を行っていた彼らにしても、あえて自らをそう呼んでいたものもいれば、実作もあって活動を続けていた者はその呼称を否定しているものなど、捉え方もさまざまであった。 このときに彼らに注目を集めていたのが、日本の建築雑誌『新建築』やセントラル硝子株式会社が主催する国際コンペティションで、実際の建設行為は前提とせず、一枚の図面のみによって表現する、あくまで構想のユニークさなどを競う審査されるというこれらコンペの条件は、通常のコンペに必要とされるプレゼンテーションのために行われる自身の渡航から巨大な模型やパネル類の国外搬出など、これらは彼らしても非常に困難だったからであり、当時の彼らが置かれていた状況にうまく合致していた。 これら若手ロシア人建築家らによる多数の入賞作品が注目され間もなく彼らの名は、ソ連国内よりもアメリカや西欧など西側諸国で注目を集めるようになっていく。
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