ペン・セントラル鉄道への合併とコンレール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 06:34 UTC 版)
「ペンシルバニア鉄道」の記事における「ペン・セントラル鉄道への合併とコンレール」の解説
世界標準の鉄道として永らく繁栄を誇ったPRRも、1950年代以降は衰退の道を歩んだ。自家用車や航空機の発達は旅客を奪い、東部や中西部の(西部に対する)経済的地位の低下は貨物輸送量の低下をもたらし、過剰設備の問題に悩まされることになった。東部の鉄道会社は、経営の先行きに不安を抱えていたが、その対応策として用いられたのが合併策であった。 1968年2月1日、PRRは最大のライバルであったニューヨーク・セントラル鉄道と合併してペン・セントラル鉄道を発足させた。州際通商委員会は、1969年にニューヘイブン鉄道もこの合併に加えるように要求した。インフレーション、経営のまずさ、異常に厳しい天候、そして政府が保証していた2億ドルの運営資金融資の引き上げなどの一連の出来事により、ペン・セントラル鉄道は1970年6月21日に倒産保護の申請に至った。ペン・セントラル鉄道の路線網は、1970年代にアムトラック(北東回廊およびキーストーン回廊)とコンレールに分割された。 1999年のコンレールの分割後、かつてPRRが運行していた部分はおおむねノーフォーク・サザン鉄道となった。コンレールの分割の結果としてCSXトランスポーテーションが保有することになった旧PRR区間としては、1. 西部オハイオ州と北部インディアナ州を通るフォートウェイン線の西側、2. ワシントンD.C.のすぐ東側のメリーランド州のポープス・クリーク支線(英語版)、3. アムトラックの北東回廊とCSXの旧ボルチモア・アンド・オハイオ鉄道アレクサンドリア延長線を結ぶかつてのPRR貨物線を北端とし、そしてポトマック川に架かる14番通り橋(英語版)経由でCSXのRF&P支線(英語版)を南端とする、ランドオーバー支線(英語版)である。
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