ブランド名:ウーズレー
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「ウーズレー」の記事における「ブランド名:ウーズレー」の解説
1901年にウーズレー社自動車部門はビッカーズ・エンジニアリング (Vickers Engineering)とハイラム・マキシム(Hiram Maxim)に12,400ポンドでの自動車製造部門が売却され、新会社ウーズレー・ツール&モーターカー・カンパニーとして独立する。会社はバーミンガムのアダレイ・パークに置かれた。新会社ではオースチンは特許の見返りとして株主にも加わり、また新会社においても工場長を務めた。この時期、オースチンは、新会社の仕事をしながらも、旧のウーズレー羊毛刈込機械会社の仕事もパートタイムでこなしていた。ハーバートは自動車を作りながらも、1911年から1933年までウーズレー羊毛刈込機械会社の会長(取締役会議長)も務めている。(自動車部を売却したウーズレー・エンジニアリング社のその後はファーガソン (企業)を参照) 新ウーズレーはレースに積極的に参加し、1903年には年800台まで成長し収益も好調だった。アレクサンドラ女王がパトロンとなっていたが収益を出すまでに5年を要していた。
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ブランド名:ウーズレー
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「ウーズレー」の記事における「ブランド名:ウーズレー」の解説
1911年後半にウーズレー=シドレーからシドレーをはずし、「ウーズレー」に戻った。理由は、シドレーが1909年にウーズレーを去りディージー・モーター・カンパニー(Deasy Motor Company)でシドレー=ディージー車を製作販売し、さらにはアームストロング=ウィットワース(Armstrong-Whitworth)とディージーが合併しアームストロング=シドレー(Armstrong-Siddeley)として販売していたためで、名称による混同を防ぐためだった。 この時期にはウーズレーから興味深い製品が出ている。1910年のエンジン付きスレー(そり)で、スコット南極探検隊とドイツ南極探検隊で使用された。この使用はスコット隊がロアール・アムンセンに敗した理由の一因ともされている(ロバート・スコット#南極到達レースの敗因分析) 。1912年には珍しい車、二輪ジャイロカー(コマ)がロシアの王室メンバーであり法律家であった公爵ペーター・シロフスキー(Count Peter P Schilovski)の援助で作られた。これはシロフスキー・ジャイロカー(Schilovski Gyrocar)とよばれる。このような奇妙な車も作ったウーズレー社だったが、二階建てバス、タクシーキャブ、ローリー(トラック)、パワーボート用エンジンなども作っていた。 1913年にはウーズレーは英国の最大メーカーとなっていた。従業員5500人で年間5000台程を生産した。
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