ブラウン管の発明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 06:36 UTC 版)
「フェルディナント・ブラウン」の記事における「ブラウン管の発明」の解説
彼の最大の業績は電気工学に関するものである。1874年、半導体(硫化金属)に金属針を接触させて交流を整流する作用を発見したが、この効果は1835年に既にM.A. RosenscholdがAnnalen der Physik und Chemieに記述しており、アーサー・シュスターは電線の表面の酸化銅の被膜に整流作用があることを発見していた。 オームの法則によって得られる「抵抗」が非線形である場合についての論文をはじめ、電位計などを発明した。 1897年、最初のブラウン管(陰極線管)とそれを使ったオシロスコープを製作。約100年後の2000年代になって液晶ディスプレイ、発光ダイオード、プラズマディスプレイといったディスプレイ装置が徐々に取って代わるようになるまで、ブラウン管はテレビやコンピュータの映像装置として、そして20世紀の近代文明を象徴する文明器具として世界中の人々に愛され続けた。 無線通信黎明期のこの時期、ブラウンも無線電信の研究に専念するようになった。1898年ごろ、鉱石検波器(ダイオード)を発明。グリエルモ・マルコーニはそのブラウンのイギリスでの特許も使用し、後でブラウンの事後承諾を得ている。ブラウン自身は高周波電流によって水中でモールス信号を送る実験や、電波に指向性を持たせての発信・受信実験を行った。
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