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フリードリヒ・メルツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 09:49 UTC 版)

フリードリヒ・メルツ
Joachim-Friedrich Martin Josef Merz
生年月日 (1955-11-11) 1955年11月11日(69歳)
出生地 西ドイツ ブリーロン
出身校 ボン大学
所属政党 キリスト教民主同盟
サイン
内閣 メルツ内閣
在任期間 2025年5月6日 - 現職
連邦大統領 フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー
在任期間 2022年1月31日 -
キリスト教民主同盟議員団長
在任期間 2000年2月29日 - 2002年9月22日
当選回数 5回
在任期間 1994年11月10日 - 2009年10月27日
2021年10月26日 - 現職
当選回数 1回
在任期間 1989年7月25日 - 1994年7月19日
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ヨアヒム=フリードリヒ・マルティン・ヨーゼフ・メルツドイツ語: Joachim-Friedrich Martin Josef Merz1955年11月11日 – )は、ドイツ弁護士、経営者、政治家。現在、同国連邦首相(第10代、任期: 2025年5月6日 - )、ドイツキリスト教民主同盟党首(第10代)。これまでにCDU/CSU議員団長(第9・13代)、連邦議会議員(5期)。欧州議会議員(1期)を歴任した。

来歴

西ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ブリーロンに生まれる。1975年にアビトゥーアに合格し、兵役を終えた後ボン大学およびマールブルク大学法学を学ぶ。ボン大学ではカトリック系学生団に所属していた。1982年に第一次司法試験に合格。1982年から1985年までザールブリュッケン地方裁判所で試補を務め、第二次司法試験に合格した。1985年から1986年までザールブリュッケン行政裁判所で判事を務め、1986年に弁護士免許を取得して1989年まで化学工業組合で顧問弁護士を務める。

1989年に欧州議会議員選挙に当選し、1994年まで議員を務めた。1994年、ドイツ連邦議会議員に初当選。1996年から1998年まで、ドイツ連邦議会CDU/CSU(キリスト教社会同盟)連合議員団財務担当を務める。1998年にCDUが野党に転落した後、連邦議会党議員団副団長、ついで2000年2月に辞任したヴォルフガング・ショイブレ党首の後任として連邦議会党議員団長に就任、連邦議会における野党代表となった。

メルツは経済・財務政策通として知られており、党内では経済リベラル派に属していた。2003年には脱官僚主義を掲げて大胆な税制改革案を発表し、それは「ビールの紙コースターの上で勘定出来る」簡略化されたものだった。また遺伝子組み換え食品の導入に賛成し、ドイツに来る移民に対し「標準文化」(ドイツ語の知識と民主主義の尊重)の受け入れを要求するなどの意見を持っていた。

しかし、2002年の連邦議会選挙後にアンゲラ・メルケル党首が自らの連邦議会議員団長職就任を要求したため、議員団長職を譲って副団長に退いた。2004年12月には副団長職も辞任した。2006年には連邦議会議員の副業とその収入を公開すべきという連邦議会の決定に反対して、8人の同僚議員と共に連邦憲法裁判所に提訴したが、2007年2月に棄却されている。さらに2007年には党執行部との政策方針の違いを理由に2009年ドイツ連邦議会選挙に立候補しないことを表明し、政治活動を休止すると発表した。

連邦議会議員当時の2002年から2004年まで、ケルンの弁護士事務所に所属しており、2004年からはベルリンのメイヤー・ブラウン国際弁護士事務所に転じている。現在アクサドイツ取引所などの監査役、BASFの経営委員、ボルシア・ドルトムントコメルツ銀行の相談役を務めている。2009年7月からは独米友好協会会長に就任、2010年1月からは死去したオットー・グラーフ・ラムスドルフの後任としてHSBC Trinkhausの経営委員に就任した。2017年にはノルトライン=ヴェストファーレン州ブレグジット担当嘱託に任命された。

メルケル首相が2018年末の任期限りで党首選に出馬しないと表明すると、アンネグレート・クランプ=カレンバウアーイェンス・シュパーン英語版と共に、次期党首選への出馬を表明した。11月にフルダ選挙区でのCDU幹部会で正式に候補者としての推薦を受けた。これはヴォルフガング・ショイブレ前党首ら党内保守派の後押しがあるものと推測されている。12月に行われた党首選では得票率48.25%で、クランプ=カレンバウアーに僅差で敗れた。

党首選敗北後、財界に戻り資産運用会社ブラックロックでの監査役としての活動を再開し、2022年には、当時財務大臣だったクリスティアン・リントナーの結婚式に自家用機で乗り付ける等、かなりの財を成している。

2018年12月のインタビューで大臣職への希望を表明していため[1]、クランプ=カレンバウアーは自身が組閣した際には閣僚として迎える用意があることや、CDUの経済政策での協働を表明した。メルツは2019年3月にCDU経済委員会の副委員長に就任した。2021年1月16日の党首選挙に出馬し、第1回目投票では385票で1位となり、380票で2位となったノルトライン=ヴェストファーレン州首相のアルミン・ラシェットと共に決選投票に進んだ。投票の結果、メルツは466票の獲得にとどまり、581票を獲得したラシェットに逆転され新党首の座を逃した[2][3]。9月の連邦議会選挙での敗北の責任を取りラシェットが党首を辞任し、後任を選ぶ党首選挙に出馬した。12月17日、党員投票で約62%を得て新党首に選ばれた[4]。2022年1月22日の党大会で正式に党首に選出された[5]

2024年9月、キリスト教民主社会同盟英語版の統一首相候補に指名された[6][7]。翌2025年1月31日、議会において移民対策法案を極右政党ドイツのための選択肢の力を借りて通過させようとするも否決され、党外のみならずメルケル前首相らCDU党内からも批判された[8]

2月23日に執行された連邦議会選挙ではCDU/CSUで208議席を獲得して議会内最大勢力となった[9]。翌24日には国際刑事裁判所(ICC)より国際手配中の身であるイスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相をドイツに公式招待したと明らかにし、逮捕を回避できる方策を考えると表明したが、ドイツはICC加盟国のためネタニヤフ入国時には逮捕する義務を負っており、左翼党からは二重基準であると批判された[10]

連邦議会選挙キリスト教民主・社会同盟が議会で第1党となったことにより、次期首相就任が有力となった[11]。CDU/CSUは4月9日に社会民主党(SPD)との連立政権樹立で合意し、閣僚経験のないメルツが新首相に就任することが確実となり、5月6日にはメルツ内閣が発足する予定であったが[12]、連邦議会における首相選出のための投票において造反が相次ぎ、選出に必要な過半数の得票数が得られず選出に失敗し、議会は中断された[13]。同日中に行われた第2回投票では過半数を獲得し、正式に首相として選出された[14]。1回の投票で首相が選出されなかった事例は、戦後ドイツ初のことである[14]

政策・主張

メルツは、経済、外交、安全保障、家族政策に焦点を当てている。彼は自分自身を社会的に保守的経済的にリベラルであると説明しており、キリスト教民主同盟の伝統的な確立保守派と親ビジネス派の代表と見なされている[15]

1970年代と1980年代の若い政治家として、彼は西ドイツの支配的な国家教義であり、キリスト教民主同盟の中核的な綱領である反共産主義の確固たる支持者であった。彼の著書「Venturing More Capitalism」は、経済的自由主義を提唱している。

2025年5月26日パレスチナ・イスラエル戦争を通じてガザ地区への攻撃が激化している状況について、「率直に言ってイスラエル軍がガザで今行っていることは何が目的なのか、もはや理解できない」とイスラエルを批判。第二次世界大戦中にホロコーストを行った過去を踏まえて、イスラエル寄りの発言を行うことが既定路線とされているドイツ政府関係者としては、異例の発言となった[16]

人物

判事である夫人との間に三児があり、アルンスベルクに自宅がある。アマチュア無線を趣味としている。

アメリカのドナルド・トランプ大統領からノルマンディー上陸作戦について「ドイツにとっては楽しくない日だった」と指摘された際には即座に反論するなど[17]、流暢な英語を操る。

著書

脚注

  1. ^ Lohse, Eckart; Wehner, Markus. “F.A.Z.-Interview: Merz traut sich ein Ministeramt zu” (ドイツ語). ISSN 0174-4909. https://www.faz.net/1.5947942 2019年6月28日閲覧。 
  2. ^ “Armin Laschet elected leader of Merkel's CDU party”. BBC News. BBC. (2021年1月16日). https://www.bbc.com/news/world-europe-55688300 2021年1月17日閲覧。 
  3. ^ Armin Laschet, Angela Merkel loyalist, is new CDU leader」『』(ドイチェ・ヴェレ)2021年1月16日。2021年1月17日閲覧。
  4. ^ “独最大野党、新党首にメルケル氏の元政敵 党首選「三度目の正直」”. 朝日新聞. (2021年12月17日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASPDK7TDCPDKUHBI03M.html 
  5. ^ 独最大野党党首にメルツ氏 メルケル氏活躍の保守勢力”. 産経新聞 (2022年1月23日). 2022年1月23日閲覧。
  6. ^ 独メルツCDU党首、保守系の統一首相候補に―来年の総選挙で」『Bloomberg News』2024年9月17日。
  7. ^ Merz ist nun offiziell Kanzlerkandidat der Union” (ドイツ語). Tagesschau.de (2024年9月23日). 2025年2月24日閲覧。
  8. ^ 独議会、移民対策法案を否決 極右政党との協力で波紋”. BBC NEWS JAPAN (2025年2月1日). 2025年2月25日閲覧。
  9. ^ “Germany’s ‘Grand Coalition’ takes shape: What it means for the economy”. ユーロニュース. (2025年2月24日). https://www.euronews.com/business/2025/02/24/germanys-grand-coalition-takes-shape-what-it-means-for-the-economy 2025年2月25日閲覧。 
  10. ^ “ドイツ次期首相候補、イスラエル首相を招待 逮捕回避の道模索”. ロイター. (2025年2月25日). https://jp.reuters.com/world/europe/IYCGMEXGMFK45PG6QZLBP3RAHY-2025-02-24/ 2025年2月25日閲覧。 
  11. ^ ドイツ総選挙、最大野党の中道右派が勝利 極右AfDは第2党に”. BBCニュース (2025年2月24日). 2025年5月7日閲覧。
  12. ^ ドイツで「大連立」合意、次期首相にメルツ氏選出へ 「ドイツが戻ってくる」”. BBCニュース (2025年4月10日). 2025年5月7日閲覧。
  13. ^ “訂正 独首相指名選挙、メルツ氏は造反で選出されず 異例の第2回投票へ”. ロイター. (2025年5月6日). https://jp.reuters.com/economy/VB6ATUFOGZKD7IV76VA4NXA3QI-2025-05-06/ 2025年5月7日閲覧。 
  14. ^ a b 共同通信 (2025年5月6日). “独、メルツ新政権発足 異例再投票の首相選出 | 共同通信”. 共同通信. 2025年5月7日閲覧。
  15. ^ Escritt, Thomas. “Conservative contenders vie to overturn Merkel's centrism” (英語). U.S.. https://www.reuters.com/article/us-germany-politics/conservative-contenders-vie-to-overturn-merkels-centrism-idUSKCN1N51CT 2025年5月7日閲覧。 
  16. ^ イスラエル支持が「国是」のドイツ首相が異例の批判…ガザ攻撃「もはや理解できない」”. 読売新聞 (2025年5月27日). 2025年7月14日閲覧。
  17. ^ ノルマンディー作戦はドイツにとっては「楽しくない」とトランプ氏、「ナチスからの解放の日」と独首相は反論”. www.msn.com. 2025年6月6日閲覧。

外部リンク

公職
先代
オラフ・ショルツ
ドイツ連邦共和国首相
2025年 -
次代
現職
党職
先代
アルミン・ラシェット
ドイツキリスト教民主同盟党首
第10代:2022年 -
次代
現職



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