フランス海軍が抱えていた問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:52 UTC 版)
「栄光の6月1日」の記事における「フランス海軍が抱えていた問題」の解説
敵国イギリスと対照的に、フランス海軍は混乱の最中にあった。艦隊を構成する船の品質は高かったものの、5年前の革命の開始以来、他の組織と違わず指揮系統はずたずたにされていた。恐怖政治によって多くの熟練した水兵や士官が死に追いやられるか追放され、代わりに政治的な理由で任命された士官や徴集兵が大西洋艦隊に充足されたが、徴集兵の多くは海に出たことすらなかった。従って、艦と兵器の質の高さは、それを使用する乗組員の質と全く釣り合っておらず、兵員はほとんどが訓練不足で未熟だった。 フランス全土を覆っていた食糧問題は、兵の質の問題をより一層悪化させた。当時、兵には何か月も艦隊の給与が払われず、食事も満足に行きわたっていなかった。 これらの問題は1793年8月にブレストで頂点に達した。食糧不足に不満をつのらせた正規の水兵が反乱を起こし、指揮官の命令に従わずに食糧を求めて艦を入港させたためにフランスの沿岸は無防備となった。これに対し国民公会は上級士官と下士官の一部を直ちに処刑して応酬し、さらに数百人もの士官と兵が収監若しくは海軍からの追放・解雇を受けた。 こうした粛清行為が艦隊にもたらした影響は壊滅的で、革命下でも海軍に残っていた有用な将兵の多くが一挙に排除されたために、艦隊の戦闘能力は著しく低下した。その後釜には、国民公会への忠誠度を基準に下士官、商船の船長、さらには一般の市民すらも取り立てられたが、艦隊を指揮する能力を持ったものはほとんどその中にいなかった。
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