フランスにおけるの集大成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 13:47 UTC 版)
フランス菓子が世界に知られる完成度を得る背景には、ヨーロッパ諸国の興亡と王朝間の婚姻があった。諸侯が割拠していた西フランク王国をまとめたカペー朝が1328年に断絶した後、フランスはイングランドとの百年戦争に苦しむこととなる。1453年にフランスの勝利で戦争は終結し、以降次第に国力をつけ幾度もイタリアに攻め入り、イタリア戦争を引き起こした。1533年にメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスが、政略結婚ともいえる形でフランス王アンリ2世に嫁している。カトリーヌは文化的には後進であったフランスにナイフとフォークを持ち込んだと言われ、実際に当時のイタリアの生活様式が全て再現できるよう、料理人や製菓人まで供にしていた。シャーベット、マカロン、フランバジーヌ、プティ・フールなど、今日フランスの伝統菓子とも思われているほとんどは、イタリアから伝わったものだとも考えられている。さらにスペイン王家からフランス王家へ、1615年にアンヌ・ドートリッシュ、1660年にマリー・テレーズ・ドートリッシュが嫁ぎ、チョコレートとその調理法もフランスに渡った。ルイ15世に嫁いだポーランド王スタニスワフ・レシチニスキの娘マリー・レクザンスカは父娘ともに美食家でも知られており、ババやヴァローヴァンを創造したと言われている。1769年、オーストリアのマリー・アントワネットがルイ16世に嫁いだことで、ドイツ菓子の製法も流入する。ヨーロッパ主要国の菓子の製法がフランスに集まり、ヨーロッパの菓子の集大成としてのフランス菓子が、その完成にむけて大きく躍進することになる。
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