フランクリンの護衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/07 16:12 UTC 版)
「アラスカ (大型巡洋艦)」の記事における「フランクリンの護衛」の解説
翌3月19日、室戸岬のおよそ80km沖にまで接近した第58.2任務群に対し、日本軍は激しく反撃。第58.2任務群は他の任務群より32キロ離れていた。7時8分、空母フランクリン (USS Franklin, CV-13) は銀河か彗星から投じられた2発の爆弾で大破。ワスプ (USS Wasp, CV-18) も神風攻撃で損傷した。アラスカはこの戦い、すなわち猛攻に晒されるフランクリンおよびワスプの苦闘を離れた場所で見ていた。はじめのうちは閃光に注意し、やがてその方角に一条の煙が立ち上るのを見て、空母が打撃を受けていることを知った。間髪容れず、フランクリンが打撃を受けたという放送が流された。 フランクリンを救うべく第58.2.9任務群が急遽編成され、アラスカは任務群の旗艦となり、僚艦のグアム (USS Guam, CB-2) および重巡洋艦ピッツバーグ (USS Pittsburgh, CA-72) 、軽巡洋艦サンタフェ (USS Santa Fe, CL-60) 、それに3個駆逐隊がこれに続いた。ピッツバーグはフランクリンを曳航し、アラスカは適度な速度で任務群がグアムに向かうよう指示を出した。 午後、任務群は新たな日本機に発見された。それは、IFFを作動していなかったPB4Y-2 プライバティアに紛れこんで任務群に近寄ってきた彗星であった。アラスカ以下の艦艇は対空砲火を打ち上げ、彗星はフランクリンに向けて投弾後、飛び去っていった。幸い、爆弾はフランクリンには命中しなかった。アラスカも51基の機関砲、機銃を発射したが、そのうちの40ミリ機関砲の1ユニットにおいて、火傷を負う乗組員が出た。この乗組員は、アラスカの艦歴における唯一の死傷者として記録された。 3月20日、アラスカは空母ハンコック (USS Hancock, CV-19) から3個戦闘群の指揮の委譲を受け、新たな救援が到着するまで、この任務にあたった。同じ日の11時43分、アラスカのレーダーはおよそ56キロの距離に目標を探知した。目標は屠龍であり、11時49分に駆けつけた戦闘機によって撃墜された。3月22日、フランクリンの危機は完全に脱したと判断されたのでアラスカはフランクリン救援の任を離れ、給油艦チコピー (USS Chicopee, AO-34) から補給を行なった上で復帰した。
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