フジテレビ製作第2弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 10:17 UTC 版)
「人斬り (映画)」の記事における「フジテレビ製作第2弾」の解説
当時業績が好調だったフジテレビジョンは1969年(昭和44年)に新事業の映画製作に乗り出し、フジテレビの株主であった東宝、大映、松竹の3社と一本ずつ映画を製作するという案が出ていたが、協定の中で各会社は二の足を踏み、「配給」という方式で、系列会社と組んだフジテレビと提携するという形を取ることに決まった。 1969年(昭和44年)5月17日に公開されたフジテレビ製作映画第1弾の『御用金』は、東宝の系列会社の東京映画と組んで初めて映画製作した作品で、配給は東宝となった。監督はフジテレビの五社英雄が担当し、俳優陣は仲代達矢、丹波哲郎、中村錦之助、夏八木勲、西村晃といった面々が死闘のチャンバラを繰り広げるスペクタクル時代劇であった。 この『御用金』は多くの観客を集め大ヒット作となった(結果的に1969年度の興行ベストテン第6位となる)。フジテレビは立て続けに映画第2弾の企画を進め、勝新太郎率いる勝プロダクションと組んで、次もさらに豪華な時代劇を製作することにした。 この当時、従来のメジャー映画会社は衰退に向かっていて、大スターが相次いで独立プロダクションを起し大作映画を手がけるようになっていた。勝新太郎も自分が思い描く通りの映画を作りたく、マンネリの人気シリーズばかりに主演する状況に不満を持って独立していた。そんな勝にとってフジテレビの潤沢な予算は渡りに舟であった。 かつて勝が所属した老舗の大映も他の会社同様に経営危機に追い込まれていて、製作予算が多く取れないのが現状であった。しかし旧知の間柄の勝と共に、豊富な資金を持つフジテレビと提携することで、通常の3倍の予算が組まれることになり、3社共々力を注ぐ作品として企画が進んでいった。 フジテレビ製作第2作目は、五社英雄が『御用金』に続いて監督を担当することになった。五社英雄はテレビ出身の映画監督第1号で、テレビ時代劇『三匹の侍』などの凄まじいリアルな殺陣の演出で才気を見せ、『御用金』でも危険な岩場や、海の中、大雪原の中でのチャンバラ決闘の面白さで注目されていた監督であった。 脚本は橋本忍が担当し、司馬遼太郎の短編『人斬り以蔵』を参考文献にしてオリジナルのシナリオを作ることになった。橋本は、黒澤明監督の『羅生門』が脚本家デビュー作で、『生きる』『七人の侍』など多くの黒沢映画に参加し、黒澤組を離れた後も、『真昼の暗黒』『ゼロの焦点』『切腹』『日本のいちばん長い日』『白い巨塔』など数々の大作を手掛けて、緊密で論理的な構成力の脚本で定評のある一流脚本家であった。
※この「フジテレビ製作第2弾」の解説は、「人斬り (映画)」の解説の一部です。
「フジテレビ製作第2弾」を含む「人斬り (映画)」の記事については、「人斬り (映画)」の概要を参照ください。
- フジテレビ製作第2弾のページへのリンク