フォッサマグナパークと糸魚川静岡構造線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:55 UTC 版)
「フォッサマグナパーク」の記事における「フォッサマグナパークと糸魚川静岡構造線」の解説
フォッサマグナパークは根知谷と姫川谷が出会う近く、根知川(姫川の支流)右岸に位置する。この公園内には、東日本と西日本を区切る断層(糸魚川静岡構造線)が存在する。糸魚川静岡構造線を人工的に露出させて状態をわかりやすくし、見学可能としたものである。 フォッサマグナは、ラテン語で「大きな溝」を意味する言葉である。この「溝」は肉眼で見えるような地形によるものではなく、地層や岩石を調査して判明する地質に由来するものである。フォッサマグナは日本列島が形成される際(1億年から3億年前)にできた古い岩石による大きな溝で、深さが地下6000メートル以上に及ぶことがわかっている。「溝」の中には、約2000万年前以降に形成された新しい地層が堆積している。 糸魚川市はフォッサマグナの西縁に位置する自治体で、糸魚川静岡構造線が通っている。糸魚川静岡構造線は日本列島の東と西を分ける境界をなす大断層であり、地質学上だけではなく言葉や食習慣なども糸魚川を境として東西に分かれている。 1980年代になって、糸魚川市ではフォッサマグナを地域資源として活用する構想が動き始めた。1987年、当時の糸魚川市長である木島長右エ門のもとで『フォッサマグナと地域開発構想』がまとめられた。この構想は、フォッサマグナやヒスイなどを糸魚川市特有の地域資源として、地域振興はもとより教育に活用することを目指すものであった。 この構想によって、まず1990年にフォッサマグナパークが造られた。ついで竹下登内閣が掲げた「ふるさと創生事業」による自治省の「地域づくり推進事業」と新潟県による「広域観光づくり事業」によって、1994年にフォッサマグナミュージアムが建設された。 フォッサマグナパークは野外学習や憩いの場として、子供たちはもとより多くの人々に親しまれるようになった。しかし、1995年7月11日から12日にかけての梅雨前線の影響による豪雨(7.11水害)によって、姫川流域は甚大な被害を受けた。根知川も氾濫してフォッサマグナパークも被害に遭ったが、その後の工事によって復旧した。 フォッサマグナパークは断層の状態をより分かりやすくするため露頭の改修工事を行い、2017年10月中旬から園内の遊歩道を一時通行止めにした。翌年8月1日に開園式を行い、8月2日に再オープンしている。
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