パーティ開催の目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 02:45 UTC 版)
「篠崎スパイ事件」の記事における「パーティ開催の目的」の解説
篠崎の3つ目の容疑は、英国空軍の伍長に、英国の戦闘機の名鑑の中から特定の戦闘機を選ばせようとして、失敗したというものだった。検察側は、他にも篠崎が複数の軍関係者と接触した証拠があるとした。3つ目の容疑の情況は1つ目の容疑と関連しており、様々な証拠を総合すると、篠崎によってパーティーが継続的に開かれ、そのうち何度かのパーティの現場に篠崎がいたことが分かっており、パーティでは英国陸軍や空軍の関係者が気前よくもてなされていた。検察側は、パーティは軍人から軍事情報を聞き出し、また適当な情報源となる人物を得るための手段だったと見ていた。 篠崎は、シンガポールに長期滞在していた元日本軍人・山川かめのすけの協力を受け、その長女で1934年にY.W.C.A.スポーツクラブの会員になっていた山川あつ子の友人(恋人)としてY.W.C.A.が開催するパーティに参加していた。パーティでシンガポールに駐屯している英軍の軍人と面識を得、面識を得た軍人を篠崎の邸宅や日本人経営のホテルでのパーティに招待して山川あつ子・よし子姉妹やユーラシアンのシドンズ(Siddons)夫人とともに接待し、英軍の軍人から軍事情報を聞き出そうとしていた。英国空軍のT.D.クロンプトン伍長は、1940年4月18日に、同僚のG.H.ワード軍曹の誘いを受けて一緒にレオニー・ヒル路のシドンズ夫人の家で開かれたパーティに参加し、席上篠崎と出会った。パーティは夜9時間から早朝まで続けられ、日本人や空軍の軍人を含む20-30人が参加していて、酒やビールなどが飲みたいだけ振る舞われていた。同日遅く、クロンプトンと話をしている際に篠崎は書類カバンから英軍の戦闘機のシルエットが描かれた本を取り出してクロンプトンに見せたが、クロンプトンは「飛行機の種類はよく知らないから」と言って飛行機の種類を示すことを婉曲に断わり、篠崎は答えが得られないとみて本をカバンにしまった。ワード軍曹は、篠崎がパーティの他の出席者にも本を見せているのを目にしていた。パーティに参加していた人々は、4日後の同月22日にカトンのウェアハム路の篠崎の家で開かれたパーティにも招待され、クロンプトンらも参加した。 別の英国空軍の伍長と2等兵は、1939年12月のクリスマスの前に、アデルフィ・ホテルで開かれたY.W.C.A.のダンスパーティに遅れて参加した際、篠崎から声を掛けられてマレー街の日本のホテルで篠崎と2,3人の日本女性と一緒に食事をし、その際「クリスマスに『すきやきパーティ』をしよう」と誘われて24日に同じホテルで開かれたすきやきパーティに参加した。パーティでは食べ物や飲み物をご馳走され、芸者の女性が同席した。パーティの後、篠崎は伍長らをジャラン・ベサール(英語版)へ車で送って行き、お金を出して2等兵らに女性を「買い与えて」走り去った。うち2等兵は1940年2月29日にビクトリア記念堂(英語版)で開かれたY.W.C.A.の閏年のダンスパーティでも篠崎に出会い、3人の空軍軍人および2人の日本人女性と一緒に食事をし、その際に再びすきやきパーティに誘われてその2週間後にイーストコースト路の日本のホテルで開かれたすきやきパーティに参加、食べ物や飲み物をご馳走され、芸者の女性が同席した。更にその後S.V.C.で開かれたダンスパーティでも篠崎に再会し一緒に食事をしていた。 また別の英国空軍の伍長らは、1940年8月18日頃、シドンズ夫人がカトンにあるオーシャン・ビュー・ホテルで開いた日本式のパーティに参加したときのことについて証言した。パーティには伍長ら仲間3人と篠崎、2人の日本人女性およびシドンズ夫人が参加し、伍長らは着物に着替えて座敷で日本酒などを振る舞われ、芸者の女性たちが呼ばれた。代金は篠崎が支払っていた。伍長らは、同席していた日本人女性から以前シンガポールにいて異動になった軍人が今どこにいるか尋ねられたり、ホテルへ移動する車中でシドンズ夫人から空軍の部隊の移動や輸送船について質問され、軍規に触れるため回答を避けた、と証言した。
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