パプアニューギニア史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 06:43 UTC 版)
「日本とパプアニューギニアの関係」の記事における「パプアニューギニア史」の解説
1528年、ポルトガル人探検家のホルヘ・デ・メネゼス(英語版)がニューギニア島を発見。「パプア」と命名。 1545年、スペイン人探検家のイニゴ・オルティス・デ・レテス(英語版)が東南アジア航海中にニューギニア島を発見。アフリカ・ギニア湾沿岸と文化的な連続性を感じ、「ニューギニア」と命名。 19世紀、ニューギニア島が東西に分割され、1848年に西半分をオランダが植民地化。東側は1884年にオーエン・スタンレー山脈、ビスマルク山脈で南北に分けられ、北半分をドイツが(ニューギニアと呼称)、南半分をイギリスが(パプアと呼称)領有する。南部は1901年、イギリスから独立したオーストラリアに宗主権が継承。 1914年からの第一次世界大戦でドイツ敗北。オーストラリアが旧ドイツ領ニューギニアを含むパプアニューギニアを委任統治する。 1941年からの太平洋戦争で日本軍がニューギニア島を占領し、日米の激戦地となる。第二次世界大戦後、オーストラリアによりパプアとニューギニアが統合。 1961年、オランダが西パプア共和国の独立を認めるもインドネシアが侵攻し(パプア紛争)、イリアンジャヤ州となる。これによりオーストラリアの委任統治領であるパプアニューギニア(東側)との分断は決定的になる。 1975年、オーストラリアから独立。 1988年より、ブーゲンビル島で独立運動が展開される。2019年、住民投票が実施され独立賛成派が98%に上り、分離独立の可能性が高まる。
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