パスカルの計算機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 00:21 UTC 版)
ブレーズ・パスカルが1640年代に製作したもの。Pascaline(パスカリーヌ)またはMachine Arithmétiqueと呼ばれている。 パスカルは1642年、19歳のときから計算機について研究を始めている。徴税官だった父の手伝いをしていた彼は、仕事の負担を軽減する道具を作ろうと考えた。1652年までに50台もの試作機を作ったが、売れたのは1ダース強である。高価であったことと複雑であったこと(さらに減算すら、後述するように簡単ではなかったこと)などが原因で、それ以上売れることはなく1652年に計算機の製作を止めた。その頃にはパスカルの主な興味が他に移っていて、気圧の研究や哲学へと関心が向かっていたというためもある。 Pascalineは十進法ベースの機械である。しかし、当時のフランスの通貨(リーブル)は十進系ではなく、イギリスのポンド、シリング、ペンスと似たものであった。つまり、市中での計算の需要としては科学技術や工学的な計算よりも多い、金額の計算にPascalineを使おうとすると、計算結果を更に変換する必要があった。1799年、フランスはメートル法に切り替えた。このとき、パスカルの基本設計に触発された職人が登場したが、彼らも商業的には成功しなかった。 最初のPascalineは5個のダイヤルがあり、後には6ダイヤルや8ダイヤルのものが作られている。最大のもので 9,999,999 までの数値を扱うことが出来た。各ダイヤルは数値のうちの1桁に対応し、計算結果は上部の窓に表示される。歯車は一方向にしか回らないため、負の値を直接計算することはできない。減算をするには(10進数における減基数としての)9の補数表現にして加算する必要があった。これについては使用者を助けるため、数字が見える部分が手前側が通常の表示、奥側が補数の表示になっており、蓋状の目隠しをスライドしてどちらかのみが見えるようになっている。
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