バッ活時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:22 UTC 版)
バッ活の時代は、初期の「ファミコンのROMゲームのデータ吸出し」はさておいても、フロッピーディスク全盛時代の市販ゲームのプロテクト外しやコピーツールの作成、ゲームのセーブデータなどの改造、新しく発売されたコンピュータハードウェアの分解、ハンダ付けなどを要する改造工作、を主としていた。当時のコンピュータゲームに対する著作権保護は技術的にも法的にも現在ほど整備されておらず、ゲームソフトをコピーするのは「データの破損に対するバックアップ目的」という大義名分があり、また仕掛けられたプロテクトを解析するのは一種の「マニアの遊び」でもあった。 しかし、著作権保護の整備が進む一方で、ホビーパソコンは整理されて次第にふるわなくなり、DOS/Vにより日本国内でPC/AT互換機が普及しはじめてMicrosoft Windows 3.xの時代となると国産パソコンの記事は縮小した。なお、多数あった競合誌もこの頃までにはほぼ整理されている。代わって、スーパーファミコンなど、機能の強化が進んだゲーム機の、特に海外から輸入された改造ツールを使っての手軽なゲーム改造の記事が中心となり、ついには誌面のリニューアルに至った。この流れと前後して、一時は誌面がMSXやX68000ユーザーの憩いの場のようになった時期もあった。 なお、国産パソコン以外ではアーケードゲーム基板や販売店の紹介やMacintosh・AMIGAなどの海外製の独自パソコンを紹介するコーナーもあった。ライターの記事だけでなく読者投稿による記事もあり、20号では読者投稿のコンテストも実施された。巻末には送料受取人払いのハガキが付属しており、読者アンケートの他に一行コメントを書く項目があり、投函すると各ページの欄外や読者コーナーに掲載されることがあった。また一時は読者によるアジテーションのコーナー「青年の主張」もあった。末期はトレジャーのグラフィッカー「はんぞー」による漫画の連載もあった。広告はコピーツールやアーケードゲーム基板専門店、家庭用ゲーム機の非ライセンス商品のものが中心だった。
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