ハンリーの沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 06:57 UTC 版)
「H・L・ハンリー (潜水艇)」の記事における「ハンリーの沈没」の解説
ハンリーは攻撃を成功させたが、そのまま未帰還となった。攻撃を開始した午後8時45分から、約1時間後まではハンリーが健在だったとする証言がある。攻撃の翌日、マーシャル砲台の指揮官は潜水艇が帰投しつつあるという「所定の信号」を受信したと報告した。その信号が具体的に何だったのかは示されていない。戦後の記事によればその信号とは「二つの青い光」であり、フーサトニックの見張員もフーサトニックの沈没後に海上で青い光を見たと述べている。1864年当時の米海軍で「青い光」と言えば発火信号を指したが、後世の出版物では誤って青い角灯だとされた。発見されたハンリーの角灯のレンズは青ではなく無色だった。青い発火信号であれば、ハンリーがフーサトニックを攻撃した地点とマーシャル砲台の間の距離約4マイルなら容易に視認できた筈である。 ディクソンは信号の発信後サリバン島まで戻るため艇を潜航させた筈だが、その後何があったのかは判っていない。ハンリーの発見者らはフーサトニックの乗員を救助しに来た連邦の軍艦カナンダイグア号に意図せず衝突されたのではないかと指摘したが、引き揚げられたハンリーの艇体にそのような損傷は見当たらなかった。 もう1つの可能性として、水雷は攻撃中に故障して意図通りに爆発しなかったのかもしれない。元の想定では、水雷はハンリーが150フィート(46m)ほど離れた時点で爆発するよう考えられていた。しかしフーサトニック上にいた乗組員の目撃証言によれば、水雷の爆発時点でハンリーは100フィート(31m)も離れていなかった。 2008年10月、科学者達の報告によると、ハンリーの乗組員は排水ポンプを作動させておらず、浸水していなかったらしい。サウスカロライナ・ハンリー調査委員会の委員長は「こうなると、乗組員が酸素不足で失神したとする説の信憑性が高まる」と語った。「乗組員はクランクを回して艦を動かしていた筈で、酸素残量を計算違いしていたのかも知れない」。 2013年1月、ハンリーの管理員であるポール・マーディキアンは、ハンリーの艇首から伸びる長い支持棒の先端に銅製スリーブの痕跡を見付けた。これによりハンリーの水雷は支持棒に直接装着されていたことが判り、水雷の爆発時点でハンリーはフーサトニックから6mも離れていなかったことが判明した。この結果、明らかに乗員は爆傷で即死したものだとする論文が2017年8月に出版された。乗員の死因は臓器損傷と推測され、特に肺挫傷や脳挫傷が考えられる。 ハンリーの乗組員は全滅したが、戦闘で1隻の艦船を沈めた最初の潜水艦として、海中戦闘の歴史に確たる足跡を残した。
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