ハリウッドでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/16 15:35 UTC 版)
「ニーヴン・ブッシュ」の記事における「ハリウッドでの活躍」の解説
ワーナー・ブラザース以外にも20世紀フォックス、パラマウント・ピクチャーズ、ユニバーサル・ピクチャーズ、ゴールドウィン・ピクチャーズのようなハリウッドの主要な映画スタジオでも働いた。 アカデミー原案賞にノミネートされた『In Old Chicago』(日本語題:『シカゴ』)はブッシュがストーリーの原案を考えた作品だった。1940年には監督のフランク・ハワードとプロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンの下で『西部の男』の脚本を共同で執筆した。その後まもなく、ゴールドウィンにプロ野球選手ルー・ゲーリッグの伝記映画を製作するように推薦し、ゲイリー・クーパーとテレサ・ライトが共演する『The Pride of the Yankees』(日本語題:『打撃王』)の製作が決まった。 愛国的な映画製作の題材として野球映画の企画が提案された時、ゴールドウィンはストーリー・エディターとして採用したブッシュに「客は野球を見たければ球場に行くだろうよ」と言って物語の筋を聞かないうちから映画が当たるわけがないと決め付けた。ブッシュも引かず、ここでルー・ゲーリッグの一代記を強く推薦した。そして「ルー・ゲーリッグ引退記念日」のニュース映画をゴールドウィンに見せたところ、試写室に明かりがついた時には彼はあふれ出る涙をぬぐい、「もう一度見せてくれ」と言った。二度目が終わると、ゴールドウィンは「ニューヨークのマルヴェイ(上級幹部)を呼び出せ。映画化権を手に入れよう」と叫んだという。この映画の出演交渉時にブッシュはゴールドウィンが一塁が何なのかすら理解しておらず、彼が野球に関してまったく無知なのに気付くことになる。脚本の土台となる原作はブッシュがポール・ギャリコに依頼したもので、テレサ・ライトのエレノア夫人役は当時彼女と結婚の約束をしていたブッシュがゴールドウィンを説得して実現したものだった。 ライトはこの後の映画『The North Star』(日本語題:『北極星(英語版)』)でも主演が決まったものの、妊娠のために途中降板してしまった。ゴールドウィンは少し前に解雇したブッシュが彼女の役を嫌って妊娠させたんじゃないかと後々まで疑った。 1941年に彼が最初に執筆した小説『The Carrington Incident』がベストセラーとなり、続いて1944年に執筆した『Duel in the Sun』もその2年後に同名タイトルで映画化(日本語題:『白昼の決闘』)されて大ヒット作となった。その後に執筆した小説『They Dream of Home』(映画タイトルは『Till the End of Time』で、その日本語題は『時の終りまで(英語版)』)と『The Furies』(映画タイトルも同名で、その日本語題は『復讐の荒野』)もそれぞれ映画化されている。
※この「ハリウッドでの活躍」の解説は、「ニーヴン・ブッシュ」の解説の一部です。
「ハリウッドでの活躍」を含む「ニーヴン・ブッシュ」の記事については、「ニーヴン・ブッシュ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からハリウッドでの活躍を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ハリウッドでの活躍のページへのリンク