ノヴスの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:07 UTC 版)
ラトビアノヴス連盟長ヤーニス・エーリクス・ピエバルグスによれば、ノヴスが初めて登場したのは1925-1927年頃で、北ヨーロッパ、特にラトビアとエストニアにおいてである。 ノヴスは、船上でできるゲームとしてビリヤードから発展したと思われる。その大きさのおかげで船上での設置が容易で、またビリヤードのボールと異なり、ノヴスで使う円盤が船の揺れの影響を受けにくいという点では、船上で使うことができる。そのため、ロシア語その他の言語でノヴスはしばしば「海のビリヤード」と呼ばれる。 ラトビアの水夫は、英国の港を訪れた際に、当地の飲み屋でノヴスに似たゲームを経験し、最初のノヴス盤は英国から持ち帰った設計図に従って製造された。当時、ノヴスが最初に広まったのはベンツピルス、リエパーヤやタリンの港町であった。国によって、ノヴスはそのエストニアの名称「コローナ」(王冠)、あるいはその他のローカルな名称で知られている。最古のルールの記録は1932年のものである。ノヴスはエストニアよりもラトビアで早く広まり、まもなくして国技として認定された。プロ協議としての最初の競技会は1932年に開催され、アルバート・ラミニシが一位を獲得した。 1963年12月6日にはラトビアノヴス連盟が設立。全国選手権大会が1964年から定期的に開催され、当初はシングルスのみであったが、1966年以来は団体戦も行われるようになった。そこでは男性の部、女性の部、そして年少者(15歳以下)の部が設けられた。 1980年には、ノヴス・コミュニティーに既に約55,000人のメンバーがあった。最近ではノヴス選手権大会は地域、都市、全国、そして世界のレベルで定期的に開催される。ノヴスはラトビアでは3つの最もポピュラーなスポーツの1つとなり、着実にアメリカ合衆国、カナダ、イスラエル、ジョージア、ウクライナ、オーストラリア、英国、ロシア、フィンランドおよびドイツで広まりつつある。 1993年以降、ノヴス国際選手権は毎年開催され、そこにはノヴス・コミュニティーの規模が大きい国、特にラトビアおよびエストニアからチームが参加する。 2006年9月30日には、ノヴスは最初のバルト海子どもオリンピックの競技リストに入った。
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