ノヴゴロド共和国のもとのカレリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:41 UTC 版)
「フィンランド正教会」の記事における「ノヴゴロド共和国のもとのカレリア」の解説
フィンランドの大半がカトリック教会を奉じるスウェーデンに編入されたのに対し、カレリア地方のみはノヴゴロド共和国に最終的に編入されることとなり(1323年)、正教圏に入ることとなった。ただし教会の実態はノヴゴロド大主教からは半ば独立していた。1400年までに、カレリアには7教区が設置され、それぞれの教区にいくつかの教会・聖堂が所属していた。 カレリア地方における正教の発展・展開は非常に緩やかなものであったが、16世紀にはノヴゴロド大主教マカリイにより、異教的要素から正教を純化しようとする精神的刷新が図られた。マカリイ大主教は1534年にロシア人修道士イリヤをカレリアに送り、異教のカルト的習慣を根絶することを命じた。イリヤは組織運営の能力と説教において有能な修道士であり、異教の習慣はカレリアから消えるに至った。
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