ニューヨーク市併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 15:31 UTC 版)
「ブルックリン区」の記事における「ニューヨーク市併合」の解説
1883年、ブルックリン橋が完成し長年船しかマンハッタンとの連絡手段がなかった時代は終わった。それに伴いマンハッタンとブルックリン市の交流は劇的に活発化した。この頃になるとブルックリン市はこのまま独立した発展を続けるのか、またはニューヨーク郡、西部クイーンズ郡、リッチモンド郡(スタテンアイランド)、ブロンクス郡を内包する5区構成のニューヨーク市の一部となるのか揺れることとなった。法律家アンドリュー・ハズウェル・グリーンを始めとした革新派は5区構成の案に賛成し、彼らは反対派の保守層や新聞社ブルックリン・イーグルと議論を交わし続けた。1894年の選挙では5郡の郡民は5区構成の併合案に賛成するものが多数派となり、1898年に正式に併合、現在のニューヨーク市が誕生した。 この併合によりブルックリンの人々のアイデンティティはかなり複雑なものとなり、しばしば新聞などで「1898年の偉大なる失敗」とも言われた。こういったブルックリンの独自性は現在も年老いた人々に受け継がれておりブルックリナイツとしてのプライドを保持している。 なおニューヨーク市誕生後もブルックリン区はキングス郡としてニューヨーク州の郡の一つとして存在し続けている。 歴代のブルックリン市長市長政党就任退任ジョージ・ホール 民主党/共和党 1834年 ジョナサン・トロッター 民主党 1835年 1836年 ジェレマイアー・ジョンソン ホイッグ党 1837年 1838年 サイラス・P・スミス 1839年 1841年 ヘンリー・C・マーフィー 民主党 1842年 ジョセフ・スプラグ 1843年 1844年 トーマス・G・タルメイジ 1845年 フランシス・B・ストライカー ホイッグ党 1846年 1848年 エドワード・コップランド 1849年 サミュエル・スミス 民主党 1850年 コンクリン・ブラッシュ ホイッグ党 1851年 1852年 エドワード・A・ランバート 民主党 1853年 1854年 ジョージ・ホール 1855年 1856年 サミュエル・S・パウエル 民主党 1857年 1860年 マーティン・カルブフェリッシュ 1861年 1863年 アルフレッド・M・ウッド 共和党 1864年 1865年 サミュエル・ルース 1866年 1867年 マーティン・カルブフェリッシュ 民主党 1868年 1871年 サミュエル・S・パウエル 1872年 1873年 ジョン・W・ハンター 1874年 1875年 フレデリック・A・シュローダー 共和党 1876年 1877年 ジェームズ・ホーウェル 民主党 1878年 1881年 セス・ロウ 共和党 1882年 1885年 ダニエル・D・ホイットニー 民主党 1886年 1887年 アルフレッド・C・シャピン 1888年 1891年 デイヴィッド・A・ブーディ 1892年 1893年 チャールズ・A・シェレン 共和党 1894年 1895年 フレデリック・W・ウルスター 1896年 1898年
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