ニューヨーク市周辺での小戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/11/23 03:38 UTC 版)
「北部戦線 (アメリカ独立戦争のサラトガ以降)」の記事における「ニューヨーク市周辺での小戦闘」の解説
両軍は敵をイライラさせたり、自軍の意図を悟られないようにするために工夫した探りや陽動の行動を採った。イギリス軍ヘンリー・クリントン将軍はニュージャージーのリトルエッグハーバーにあった「反乱軍の海賊の巣を掃討する」ために軍隊を派遣し、1778年10月の襲撃(チェスナットネックの戦い)では、カジミエシュ・プワスキの軍団を急襲した(リトルエッグハーバー虐殺)。クリントンはこの襲撃から注意を逸らす目的でニュージャージー北部にも軍隊を派遣していた。この行動の最中の9月27日にチャールズ・グレイに率いられたイギリス兵1個中隊がジョージ・ワシントン軍の眠っていた1個中隊を銃剣襲撃した(ベイラー虐殺)。 1779年5月、クリントンはハドソン川の主要渡河点の片側を守っていたニューヨーク邦ストーニーポイントの前哨基地を占領した。クリントンがこの部隊から勢力を割いてウィリアム・タイロンの海岸部襲撃に向わせている間に、ワシントンはストーニーポイントを取り返す攻撃を行わせ、7月16日に成功した(ストーニーポイントの戦い)。クリントンは南部戦線侵攻のための作戦の一部としてその軍隊をニューヨークに撤退させた。1779年の後半、ライトホース・ハリーがアメリカ軍を率いて、現在のニュージャージー州ジャージーシティにあったイギリス軍の基地を急襲した(ポーラスフックの戦い)。その結果ニュージャージー北部のイギリス軍支配は弱まった。 1780年初期、イギリス軍はニューヨーク邦ウェストチェスター郡のアメリカ軍前哨基地を攻撃し、アメリカ軍に損失50名を出させ、75名を捕虜にした(ヤングズハウスの戦い)。ニューヨーク地域での最後の注目すべき戦闘は1780年6月にイギリス軍がニュージャージー邦モリスタウンにあった大陸軍宿営地を攻撃することでニュージャージー北部の支配権を再度得ようとしたことである。先ずコネチカット農園の戦いがあった後、大陸軍ナサニエル・グリーン将軍が指揮する約2,000名の部隊が、2,500名以上のイギリス正規兵に対して守り抜いた(スプリングフィールドの戦い)。ニュージャージー北部に対するイギリス軍の野望は潰えた。
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