ニューヨーク市破産の懸念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:14 UTC 版)
「1907年恐慌」の記事における「ニューヨーク市破産の懸念」の解説
モルガン、スティルマン、ベーカーらは、25日金曜夕方モルガンの書斎に集まり、マネープールの構築はいつまでもできないが、米財務省も資金提供者として十分ではない。だが一方、一般市民の信頼は回復されなければならないとの結論に達し、これらの対策として二つの委員会を設置することとした。ひとつは聖職者に協力を要請する委員会で、これは日曜の礼拝で人々を鎮めるメッセージを発するよう教会に働きかけるものであり、ふたつめは広報委員会で、金融救済の対応を報道機関に説明するものであった。翌土曜日、広報委員会の活動により一部朝刊紙ではモルガンらの取り組みを讃える時間稼ぎ的な記事が紙面に掲載された。また、ロスチャイルド卿がモルガンへ「賞賛と尊敬」の念を抱くとのメッセージを送った。 月曜日の資金の流動性を確実なものにするため、ニューヨーク資金決済機構(en:New York Clearing House)は、加盟行の間で現金に代えて決済できるクリアリングハウス証書を1億ドル発行し、銀行各行は預金者分の現金を確保できるようになった。市場に流動性が供給され、また聖職者や報道機関による呼びかけもあり、月曜日はニューヨークに秩序が戻った。 しかしこのとき、ウォール街には気付かれずに新たな危機が到来していた。27日日曜の夕方、モルガンのパートナージョージ・パーキンスは、ニューヨーク市が11月1日までに少なくとも2000万ドルの資金を準備しなければ破産してしまうことをニューヨーク市職員から告げられた。市は通常債券を発行して資金調達を図ったが、危機を回避するのに十分な額を集めることができなかったという。28日月曜から翌火曜にかけて市長、市幹部らと会合をもったモルガンは、3000万ドル分の市債を購入し、破産という「惨劇」からニューヨーク市を救った。
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