ニップリングの業績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:19 UTC 版)
テキサス州生まれで、大学で昆虫学を専攻したニップリングは、1939年頃、当時画期的だった不妊防除法のアイデアに達した。このアイデアは共同研究者のレイモンド・ブッシュランドによって熱烈に支持されたが、その他の研究者からは一蹴された。第二次世界大戦が始まると、戦場で病気を媒介する蚊やハエの研究に二人とも忙しくなり、アイデアは一度眠ることになる。 終戦後も続けられた核実験に反対する学者の中に、アメリカのハーマン・J・マラーがいた。1927年にショウジョウバエにX線をあてて人為的に突然変異を起こさせた業績でノーベル賞を受賞したが、核爆発によって生ずる放射性物質が、人類に悪影響を及ぼすことを警告したのである。 この警告をきっかけに、マラーを知ったニップリングは、放射線によってハエを不妊化できないかと尋ね、可との返答を受けた。生殖細胞はその他の細胞よりも特に放射線に弱いので、適切な量の放射線を当てればハエの体は元気でも、精子が不妊化するような突然変異を起こすことができる。 1951年、ブッシュランドは5000RのX線またはガンマ線を蛹の時期にあてれば、雄も雌も不妊化できることを明らかにした。その後の結果は上記のとおりで、1959年にフロリダ半島で根絶が成功した。また、テキサス州を含む南西部の根絶事業は、畜産業者の強い要望と募金活動によって、1964年にはほとんど達成された。しかし、メキシコから絶えずラセンウジバエが入ってくるために完全な根絶は難しく、メキシコで根絶が達成されたのは1990年になってからである。現在はグアテマラで根絶事業が継続中である。 1995年、ニップリング博士はその功績によって「日本国際賞」を受賞するために来日したとき、記者団の「これまでの研究でなにが一番難しかったか」という質問に「根絶事業予算を獲得することだった」と答えている。
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