ドン山とは? わかりやすく解説

ドン山(新潟県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 03:08 UTC 版)

午砲台」の記事における「ドン山(新潟県)」の解説

1873年明治6年) - 新潟市寄居砂山午砲所が設置され報時業務開始1919年大正8年) - 旧制新潟高等学校建設に伴い新潟市西船見町高台移転。やがて、ここがドン山と名付けられる1924年大正13年)礎町に皇太子(後の昭和天皇)の成婚記念として報時塔が建造される。同塔屋上からの汽笛による報時開始されたことに併せて、ドン山における空砲による報時廃止された(汽笛による報時1943年昭和18年)まで行われた。なお戦時中は、空襲警報にも用いられた。) 2006年平成18年)現在 - ドン山の周囲西海岸公園一部として整備されており、砲台跡地にはレプリカの砲が設置されている。

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ドン山(岡山県)

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午砲台」の記事における「ドン山(岡山県)」の解説

1909年明治42年1月 - 岡山市半田山現在の岡山理科大学敷地内)に午砲台設置され報時業務開始。やがてドン山と名付けられる午砲運営陸軍第17師団が行っていたが大正年間師団駐屯解消され岡山市維持請け負ううになる使用された砲は、日露戦争戦利品といわれた。 1922年大正11年8月 - 長く続いた午砲軍縮午砲廃止決め岡山山砲隊も廃止され8月15日最後に軍の運用するドン』は消えた1929年昭和4年3月 - 岡山市財政難のため報時業務断念1945年昭和20年6月 - 6月29日岡山大空襲においてB-29部隊編集した作戦資料に『SIGNAL GUN』と表示されていた。 2009年平成21年8月 - 岡山理科大学岡山理科大学附属高等学校により発掘調査が行われ、当時遺構検出される12月 - 岡山理科大学附属高等学校機械科により午砲鋳造復元され設置される

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