ドン山(新潟県)
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1873年(明治6年) - 新潟市寄居砂山に午砲所が設置され、報時業務を開始。 1919年(大正8年) - 旧制新潟高等学校建設に伴い新潟市西船見町の高台に移転。やがて、ここがドン山と名付けられる。 1924年(大正13年)礎町に皇太子(後の昭和天皇)の成婚記念として報時塔が建造される。同塔屋上からの汽笛による報時が開始されたことに併せて、ドン山における空砲による報時は廃止された(汽笛による報時は1943年(昭和18年)まで行われた。なお戦時中は、空襲警報にも用いられた。) 2006年(平成18年)現在 - ドン山の周囲は西海岸公園の一部として整備されており、砲台の跡地にはレプリカの砲が設置されている。
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ドン山(岡山県)
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1909年(明治42年)1月 - 岡山市半田山(現在の岡山理科大学敷地内)に午砲台が設置され、報時業務を開始。やがてドン山と名付けられる。午砲の運営は陸軍第17師団が行っていたが大正年間に師団の駐屯が解消され、岡山市が維持を請け負うようになる。使用された砲は、日露戦争の戦利品といわれた。 1922年(大正11年)8月 - 長く続いた午砲は軍縮で午砲廃止を決め、岡山山砲隊も廃止され、8月15日を最後に軍の運用する『ドン』は消えた。 1929年(昭和4年)3月 - 岡山市が財政難のため報時業務を断念。 1945年(昭和20年)6月 - 6月29日の岡山大空襲においてB-29部隊が編集した作戦用資料に『SIGNAL GUN』と表示されていた。 2009年(平成21年)8月 - 岡山理科大学と岡山理科大学附属高等学校により発掘調査が行われ、当時の遺構が検出される。 12月 - 岡山理科大学附属高等学校機械科により午砲を鋳造で復元され設置される。
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