ロングドン山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「ロングドン山の戦い」の解説
6月11日19時59分より、スタンリー西側の外郭防衛線に対する艦砲射撃が開始された。「アロー」「ヤーマス」「アヴェンジャー」「グラモーガン」が合計788発を射撃し、この戦争での最大の艦砲射撃となった。ロングドン山において、イギリス陸軍第3空挺大隊は既に前進を開始しており、20時16分に攻撃開始線を通過した。しばらくはイギリス軍が前進するのみで動きがなかったが、21時30分ごろに一人の伍長が地雷を踏んで片足を吹き飛ばされたのを切っ掛けに、アルゼンチン軍が射撃を開始した。イギリス軍は砲兵支援を要請したが、陣地に対しては限られた効果しか発揮できなかった。 同山に配備されていたアルゼンチン軍部隊は、第7歩兵連隊B中隊(中隊長カルロス・カリソ=サルバドレス少佐)を基幹とする約220名程度であり、陣地の位置も作りも悪く、鉄条網も土嚢もなく、地雷敷設も適切でなかったが、同山はもともと天然の要害であり、イギリス軍は攻略に難渋した。特に暗視装置を備えた狙撃兵および50口径の重機関銃に対して苦戦を強いられ、手榴弾と銃剣による近接戦闘、また対戦車兵器も投入して、犠牲を出しつつ陣地を掃討していった。カリソ=サルバドレス少佐は3時頃に1個小隊の増援を得て、イギリス軍の攻撃を何度も凌いだものの、5時には限界が近づいていることが分かった。B中隊は整然と退却したが、287名の人員のうち、撤退に成功したのは78名であり、50名が捕虜となり、戦死31名、負傷者は少なくとも120名であった。一方、イギリス側は18名の戦死者と約40名の負傷者を出した。
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