ドラえもん勇退後
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2005年3月に放送ウーマン賞を受賞。2006年11月の第11回アニメーション神戸では、その功績が称えられ、オリジナルレギュラー陣(テレビ朝日版)(小原乃梨子、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太の4人)と共に特別賞を受賞。そして翌2007年3月にも、東京国際アニメフェア2007より、第3回功労賞を(4人と共に)受賞。同年4月には音響芸術専門学校(東京都港区西新橋)の校長に就任し、直接学生の指導に当たった。 アニメ歌手としても活躍。1980年には、EP『ドラえもん音頭』など大山が歌ったドラえもん関連のレコード売り上げが100万枚を突破し、日本コロムビアのゴールドディスクを受賞した。 料理研究家としても活動し、著書に『大山のぶ代のおもしろ酒肴』(主婦の友社、1981年)、『おかずのアイディア180』(小学館、1995年)、『大山のぶ代の毎日のおかず』(グラフ社、2000年)などがある。中でも『大山のぶ代のおもしろ酒肴』は136万部のミリオンセラーを記録した。 2000年代後半以降は、講演やタレントとしてのテレビ・ラジオ出演を中心に活動。『元祖!でぶや』などのナレーション活動にて、声優としての活動も続けた。 2006年5月に、26年間のドラえもん声優時代を記した自伝エッセイ『ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話』(小学館)を上梓した。 2008年4月24日に、音響芸術専門学校の校長室で授業準備中に、心筋梗塞と脳梗塞を併発して緊急入院したが、投薬治療を行い、同年8月17日に退院。自宅療養とリハビリにより、日常生活の不安はないまでに回復し、活動を再開した。 しかし、その後も引き続き各種テレビやラジオ番組のゲスト出演、講演活動、雑誌・ネット・新聞各社取材・そして音芸での指導と活躍。多忙・激務が続いたことによる体調不良を理由に、2010年頃より徐々にではあるが仕事をセーブし、2013年に音響芸術専門学校の校長を退任した。 2010年、PSP用ゲームソフト『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のモノクマ役で『ドラえもん』降板以来 5年ぶりに声優復帰。さらに2012年発売の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』にもモノクマ役で引き続き出演、2013年ではテレビアニメ化『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』にも出演。テレビアニメへの出演は『ドラえもん』降板以来であると同時に、深夜テレビアニメ作品もこれがデビュー作となった。 2022年2月、フジテレビ系で放送されたバラエティ番組『これが定番!世代別ベストアニメ エンタメジェネレーション』では、世代別で「好きな声優」がアンケート集計され、大山が「昭和世代(46歳以上)」の部で1位となった。
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