ドラえもん勇退後とは? わかりやすく解説

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ドラえもん勇退後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:00 UTC 版)

大山のぶ代」の記事における「ドラえもん勇退後」の解説

2005年3月放送ウーマン賞受賞2006年11月第11回アニメーション神戸では、その功績称えられ、オリジナルレギュラー陣(テレビ朝日版)(小原乃梨子野村道子たてかべ和也肝付兼太の4人)と共に特別賞受賞。そして翌2007年3月にも、東京国際アニメフェア2007より、第3回功労賞を(4人と共に受賞同年4月には音響芸術専門学校東京都港区西新橋)の校長就任し直接学生指導当たったアニメ歌手としても活躍1980年には、EPドラえもん音頭』など大山歌ったドラえもん関連レコード売り上げ100万突破し日本コロムビアゴールドディスク受賞した料理研究家として活動し著書に『大山のぶ代おもしろ酒肴』(主婦の友社1981年)、『おかずのアイディア180』(小学館1995年)、『大山のぶ代毎日のおかず』(グラフ社2000年)などがある。中でも大山のぶ代おもしろ酒肴』は136部のミリオンセラー記録した2000年代後半以降は、講演タレントとしてテレビ・ラジオ出演中心に活動。『元祖!でぶや』などのナレーション活動にて、声優としての活動続けた2006年5月に、26年間のドラえもん声優時代記した自伝エッセイぼく、ドラえもんでした。涙と笑い26年うちあけ話』(小学館)を上梓した。 2008年4月24日に、音響芸術専門学校校長室授業準備中に、心筋梗塞脳梗塞併発し緊急入院したが、投薬治療行い同年8月17日退院自宅療養リハビリにより、日常生活の不安はないまでに回復し活動再開した。 しかし、その後引き続き各種テレビラジオ番組ゲスト出演講演活動雑誌ネット新聞各社取材・そして音芸での指導活躍多忙激務続いたことによる体調不良理由に、2010年頃より徐々にではあるが仕事セーブし2013年音響芸術専門学校校長退任した2010年、PSP用ゲームソフトダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のモノクマ役で『ドラえもん』降板以来 5年ぶりに声優復帰。さらに2012年発売の『スーパーダンガンロンパ2 さよなら絶望学園』にもモノクマ役で引き続き出演2013年ではテレビアニメ化ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation』にも出演テレビアニメへの出演『ドラえもん』降板以来であると同時に深夜テレビアニメ作品もこれがデビュー作となった2022年2月フジテレビ系放送されバラエティ番組『これが定番世代別ベストアニメ エンタメジェネレーション』では、世代別で「好きな声優」がアンケート集計され大山が「昭和世代(46歳以上)」の部で1位となった

※この「ドラえもん勇退後」の解説は、「大山のぶ代」の解説の一部です。
「ドラえもん勇退後」を含む「大山のぶ代」の記事については、「大山のぶ代」の概要を参照ください。

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