デューリングの価値論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
「反デューリング論」の記事における「デューリングの価値論」の解説
デューリングは経済力を政治的支配力と混合して理解しており、「富は、人と物とを支配する経済力である」と主張した。 デューリングの見解は、「物に対する支配は正しいが、人間に対する支配は悪から生じる」という道徳論であった。経済学を通じて人類史を考察する視点が欠如していたのである。また、「人間に対する支配を物に対する支配によって説明する」のではなく、「人間を支配するものとしての富は強奪である」というプルードン的な理解に留まった。それゆえ、物に対する支配としての富―資本主義的生産様式は良いもので、人間に対する支配としての富―資本主義的分配様式は悪いものとする、主観的議論に終始していた。 これに対して、エンゲルスはデューリングの価値論・権力論は二つの誤謬を持っていると指摘した。エンゲルスは人類史における古代(新石器時代)~近代に遡って答を示そうとした。第一に、未開社会の村落共同体では富は政治的支配力にはなっていない。第二に、資本主義社会にあっても経済力は「物に対する支配」であって、物を媒介とした間接的な「人に対する支配」であることを示した。一例として、奴隷制度は、奴隷所有者による奴隷の支配であるがそれは一面であって、他面では、奴隷所有者が奴隷を購入する代金と奴隷を扶養するだけの経済資源を所有しているという「物に対する支配」の延長である。また、中世封建制度においても、封建貴族が農民に土地を耕作させて貢租を徴収するための世襲的な大土地所有が必須である。価値論・権力論は経済資源に対する支配と分配様式を一体として論じなけらばならないのだ。 では、デューリングは価値をどのように理解していたであろうか。彼は価値を諸価格と同一のものとして理解していた。価値と価格は、商品の生産時に突入された労働力に等しい。賃金は投入された労働力と等しく交換されているという等価主義的な理解であった。この等価主義には致命的な欠陥があった。労働者の低賃金と資本家による利潤の搾取が説明できないのである。そこで、デューリングは暴力による支配の結果、労働者は低賃金を余儀なくされ、暴力によって資本家は労働者から利潤を強奪しているという主張を繰り返した。しかし、既に明らかになっているように、資本主義的生産の過程に暴力は存在しない。このように現実を説明できないのはデューリング理論自体に原因があるためであると、エンゲルスは指摘した。
※この「デューリングの価値論」の解説は、「反デューリング論」の解説の一部です。
「デューリングの価値論」を含む「反デューリング論」の記事については、「反デューリング論」の概要を参照ください。
- デューリングの価値論のページへのリンク