デビュー後 - MOONレーベル時代とは? わかりやすく解説

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デビュー後 - MOONレーベル時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 02:44 UTC 版)

村田和人」の記事における「デビュー後 - MOONレーベル時代」の解説

終わらない夏』のプロモーション終了後スケジュール空いていた村田山下ツアーコーラスとして参加する話が舞い込む山下によってリハーサルでかなりしごかれたが、現場で多く音楽的経験積んでいった。ツアー村田が一番参ったのは、他の女性コーラス陣と合わせての「踊り」だったという。1983年山下プロデュースシングル&アルバム制作マクセルからの依頼で「一本音楽」というコピー使用するという条件制作され先行シングル一本音楽」がスマッシュヒットCM露出多かったこともあり、6月発売されセカンドアルバムひとかけらの夏』は売れ行き上々ライブコンサートホールで行う事ができるようになった数多くライブ活動を行う中で、山本圭右阿部薫小板橋博司、小室哲哉バンドメンバーサウンド確立していった。翌1984年TMネットワークデビューする小室を除くメンバーでサードアルバム『MY CREW』を製作。本来このサードアルバムで再び山下プロデュースを行う予定だったが、村田サイドがこのバンドメンバーでのレコーディング選択セカンドアルバムでの経験生かした村田セルフプロデュースとなった全国主要5都市を含む全国ツアー行われた。 しかし、翌1985年は再登板予定だった山下諸事情自身音楽制作へのコンピュータ導入による試行錯誤など)により制作着手できず、村田収録予定だった楽曲他のアーティスト提供する等、ちぐはぐな活動となってしまい、結局アルバムの製作は流れてしまった。アサヒワインクーラーCM用に「SEASIDE SONGS」を作曲1986年新しディレクターの手引きで渡米し、ロニー・フォスターの元で『showdown』を製作。LA滞在中のホテルカレー料理中にルーで喉を痛めヴォーカル録音日本に帰国後に行う。「Seaside Songs」は日本ミュージシャンレコーディングされているので、おそらく日本レコーディングだが、コーラスはロニー・フォスターが参加している。また他にも山下達郎コーラス参加しているなど、どこまでが日本LA録音されものかは未定LAスタジオミュージシャン起用した本作は、これまでの村田にはないアーバンスタイリッシュなテイスト盛り込んだ意欲となった1987年企画盤「Back to Frisco」に山本圭右西司平松絵理ユニット名Honey & B-boysとして参加1987年再渡米LAベーシックトラック製作し日本ダビング及びヴォーカル録音する形で製作された『Boy's Life』はこれまでの村田音楽活動集大成というべき作品となった

※この「デビュー後 - MOONレーベル時代」の解説は、「村田和人」の解説の一部です。
「デビュー後 - MOONレーベル時代」を含む「村田和人」の記事については、「村田和人」の概要を参照ください。

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