ディスカバラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 04:29 UTC 版)
「コロナ (人工衛星)」の記事における「ディスカバラー」の解説
ディスカバラー1号 ディスカバラー14号 ディスカバラー37号 コロナ計画(Corona program)は当初、ディスカバラー計画(Discoverer program)であった。アイゼンハワー政権時代の1959年初頭に最初の試験打ち上げが行われた。カメラを搭載しての最初の打ち上げは1959年6月のディスカバラー4号で、ソー・アジェナロケットで打ち上げられた 750 kg の人工衛星である。フィルム缶はバケット (buckets) と呼ばれるカプセルとして地球に戻され、パラシュート降下中に特殊装備の航空機で空中回収された。失敗した場合、カプセルは短時間なら水上に浮かぶよう設計されていたが、第三者に回収されることを防ぐため、ある程度の時間が経過すると水没するようになっていた。最初のカメラ搭載ディスカバラーミッションは利用可能なフィルムを回収できなかったが、その後も回収試験を繰り返し、最初に衛星が投下したカプセルを無事に回収できたのは1960年8月10日のディスカバラー13号だった。また、1960年8月18日、ディスカバラー14号のカプセル回収が成功した。これには、改造して特殊装備を搭載したC-119輸送機が使用された。この特殊回収機は、後にC-130輸送機改造のJC-130Bに交代した。 セイモス (Samos) という別の計画では、人工衛星上でフィルムを現像し、その画像をスキャンして地上に電送する方式が採用された。セイモス E-1 と E-2 人工衛星計画ではその方式が採用されたが、現像装置の分衛星のペイロードが圧迫されるために多くの写真を撮ることができず、通信機器の能力の限界から電送できる写真数も限られていた。後にセイモス E-5 と E-6 でもフィルム回収方式が採用されたが、いずれも失敗に終わった。コロナのフィルム回収カプセルは、より高解像度の写真を撮れる KH-7 ガンビット人工衛星にも採用された。 ディスカバラー13号 は1960年8月11日に地球に戻り、打ち上げ後回収された最初の人工衛星となった。 ディスカバラー計画の最後の打ち上げはディスカバラー38号で1962年に行われた。その後、コロナ関連の計画は国家機密とされた。コロナの最後の打ち上げは1972年5月25日で、この際に計画の情報を入手したらしきソ連の潜水艦がカプセル回収地点付近の海域で待ち構えていることが判明したために、その後の打ち上げは中止された。コロナが最もうまく機能していたのは1966年から1971年で、その間に32回の打ち上げ・回収が行われた。
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