チャンドラー・レイモンド(Raymond Chandier)
1888年(明21)、アメリカのイリノイ州シカゴ生まれ。両親の離婚後、母とともにイギリスに渡る。ダリッジカレッジ時代は最優秀成績を収めた。
1912年(大1)、アメリカに渡り、企業の会計係、軍隊、金融業、ジャーナリズムなどにたずさわったり、小説を書いたりしたが、大成せず、ダブニー石油の副社長となる。18歳年上だが、美しい妻シシーを持ち、高級車を乗り回す成功者だったが、大恐慌の直撃をうけ、また、浮気が原因で、1932年(昭10)に首になる。
1933年(昭11)、「ブラックマスク」に「脅迫者は撃たない」を発表。
1939年(昭13)、「大いなる眠り」を発表し、ハリウッドからも注目される。
1943年(昭18)にはハリウッドに赴き、1946年(昭21)、パラマウント映画のためにオリジナル脚本「青いダリヤ」を執筆。
1944年(昭19)、「素朴なる殺人芸術」を「アトランティックマンスリー」に発表し、イギリス式の本格探偵小説を攻撃する。
1949年(昭24)、「かわいい女」を発表。
1950年(昭25)から「高い窓」「湖中の女」などが訳されている。
1953年(昭28)、「長いお別れ」を発表し、1955年(昭30)にアメリカ推理作家クラブ賞最優秀長編賞を受賞。
1954年(昭29)、妻のシシーが死去すると、アル中になり、自殺未遂を繰り返す。
1959年(昭34)、アメリカ推理作家クラブの会長に推される。
1959年(昭34)、気管支炎で死去。
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